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【共同声明】映画「主戦場」の上映差し止めを求める

-上智大学修士課程卒業制作を擬装し商業映画を制作した出崎幹根の違法行為について-

令和元年(2019年)5月30日

加瀬英明
ケント・ギルバート
櫻井よしこ
藤岡信勝
藤木俊一
トニー・マラーノ
山本優美子
*50音順

  <声明文の構成> 

(1)商業映画への「出演」は承諾していない

(2)「大学に提出する学術研究」だから協力した

(3)合意書の義務を履行せず

(4)本質はグロテスクなプロパガンダ映画

(5)ディベートの原則を完全に逸脱

(6)目的は保守系論者の人格攻撃

(7)出崎と関係者の責任を問う

 1)商業映画への「出演」は承諾していない

 映像作品「主戦場」(合同会社東風配給)は、慰安婦問題を中心テーマとしたドキュメンタリー映画という触れ込みで、2018年10月7日、「第23回釜山国際映画祭」で初めて上映され、その後、2019年4月20日から東京・渋谷の映画館で一般公開の上映が始まった。以後、大阪、名古屋など日本全国41箇所での上映が予定され(5月30日現在)、当面、全国での上映は8月16日まで続けられることになっている。さらに、アメリカなど海外でも上映が予定され、この映画は日本語、英語、韓国語の3つの言語のバージョンがあるとされる。しかも、その内容は言語によって少しずつ異なっているという観測もある。

 渋谷の映画館では、上映期間が当初4日間の予定であったのを3次にわたって延長し、5月末まで上映が続いた。この映画館は、入場料が大人1800円で、約100席(途中から上映ルームを増やして合計約150席)で、1日4回上映する。観客動員数は、この映画館だけで優に2万人を超える計算になる。

 私たち7名と杉田水脈衆議院議員は、この映画の中で、慰安婦強制連行説や「慰安婦=性奴隷」説などに反対する立場の人物として「出演」させられている。映画館では700円で販売している映画の「公式プログラム」にも、顔写真入りで私たち8名の名前が掲載されている。

 しかし、私たちは誰一人として、このような商業映画に出演することを承諾していない。これは許可なく他人の映像や発言を営利目的に利用した、道義的に決して許されない行為である。さらに、法的にも、撮影時に結ばれた合意事項を破った債務不履行という違法行為を犯しており、他人の肖像権を侵害し、名誉を毀損し、さらに映画が著作権を侵害した点では悪質な不法行為を構成するものでもある。

 私たちはこの映画の「監督」である出崎幹根(でざき・みきね。公式プログラムでは「ミキ・デザキ」を名乗る)と関係者の責任を、法的手段も含め徹底的に追及する。その事情と理由は以下のとおりである。なお、人名は立場の如何を問わず、すべて敬称を省略する。

 2)「大学に提出する学術研究」だから協力した

 まず初めに、私たちが出崎の取材に応じた経過の概略を述べる。なお、私たち8名はそれぞれ別個に出崎の取材を受けたのであり、ごく一部を除き、横の連絡や情報の共有はなかった。私たちは出崎のインタビューを自分の他に誰が受けているのか、ほとんど知らなかった。

 上智大学の「大学院生」の名刺を持ち歩いた出崎幹根が、他2名の院生を連れて私たちの前に姿を現したのは、2016年の5月から翌年の2月までの期間だった。次の表は、各人へのアプローチ開始時点とインタビューが行われた撮影日・撮影場所を一覧表にまとめたものである。

 ■出崎幹根による8人へのインタビュー日時

a)氏名(アプローチ順) b)アプローチ c)撮影日 d)撮影場所
山本 優美子 2016.5.24 2016.6.11 上智大学(四谷)
藤岡 信勝   2016.8.11   2016.9.9   新しい歴史教科書をつくる会事務所(文京区水道)
藤木 俊一   同上   2016.9.26   テキサス親父日本事務局 (埼玉県熊谷市)
トニー・マラーノ 同上 2017.1.? 上智大学(四谷)
杉田 水脈 同上 2016.9.16 同上
ケント・ギルバート 2016.10.27 2016.11.10 同上
加瀬 英明 2016.11.22 2017.1.18 加瀬事務所(麹町)
  櫻井 よしこ   2016.12.6   2017.2.15 櫻井事務所(赤坂)

 出崎は取材の目的を私たちに、次のように説明していた。

・「これは学術研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません」

・「私が現在手がけているドキュメンタリーは学術研究であり、学術的基準に適さなければなりません。よって、公正性かつ中立性を守りながら、今回のドキュメンタリーを作成し、卒業プロジェクトとして大学に提出する予定です」(出崎から山本優美子へのメールより)

 つまり、出崎は、インタビューの目的は、上智大学大学院修士課程を修了するための「卒業制作」(出崎の言葉)であり、学術研究として作品は「大学に提出する」と述べていたのである。同様の説明を、8人の全てがメールや口頭で聞いている。だからこそ、私たちは、出崎のインタビューを受けることを承諾したのである。

 インタビューを受けた私たちが迂闊で警戒心のない人々だ、という批判がある。批判は甘んじて受けるとしても、私たちが善意から学生の勉強に協力したのは、日本が信頼社会であることによるのだ。私たちは、「人を見れば泥棒かスパイだと思え」といった教育は受けていない。学生の卒業研究だと言われれば、本当に学生かと身分を疑うことはせず、無報酬でも一肌脱いでやらなくてはと思うのが日本人なのだ。逆に、この事例の副作用で、今後真に学びたい学生の研究活動が阻害される事態を生じることが懸念される。

 ただ、このように書くと、私たちが意図に反する映画に利用されたのは、私たちに体現された日本人の「お人好し」の性格によるものであると考えられがちだが、それは必ずしも当たらない。なぜなら、アメリカ人であり、かつ弁護士の資格をもつケント・ギルバートまでが、出崎のプロジェクトに全く疑いをもたなかったからだ。それ程までに他者を騙す才能が出崎には備わっているということかも知れない。彼が二度とこの悪事を繰り返すことが出来ないようにすることは、日本社会を守るための私たちの義務でもあると考える次第である。

 出崎の目的が商業映画として一般に公開することにあったことを知っていたら、私たちがインタビューを受けることは決してなかった。実際、その後の経過と完成した作品の内容は、出崎の言葉をことごとく裏切るものだった。

 3)合意書の義務を履行せず

  取材を受けた8名全員が、撮影された映像に関する合意書にサインした。私たちの多くは、合意書について特別の違和感も関心もなく、一種のセレモニーとしてサインしたといえる。例外は藤木と藤岡で、藤木は出崎の書いた文面が「取材者側の権利のみをうたう偏った内容」であるとして、取材を受ける側の権利も書き込んだ代案を出し、出崎との協議ののちいくつかの条文を入れさせた。

  藤木の合意書の全文を次に掲載する。下線はこの声明文の理解のために後で付けたものである。


合 意 書

 出崎・ノーマン・エム(以下「甲」という)と、藤木俊一(以下「乙」という)は、甲の製作する歴史問題の国際化に関するドキュメンタリー映画(以下「本映画」という)について以下のように合意する。

1.甲やその関係者が乙を撮影、収録した映像、写真、音声および、その際に乙が提供した情報や素材の全部、または一部を本映画にて自由に編集して利用することに合意する。

2.乙が甲に伝えた内容は個人の見解であり、第三者の同意を得る必要、または第三者に支払いを行う必要がないことを確認する。

3.本映画の著作権は、甲に帰属することを確認する。

4.本映画の製作にあたって、使用料、報酬等は発生しないことを確認する。

5.甲は、本映画公開前に乙に確認を求め、乙は、速やかに確認する。

6.本映画に使用されている乙の発言等が乙の意図するところと異なる場合は、甲は本映画のクレジットに乙が本映画に不服である旨表示する、または、乙の希望する通りの声明を表示する。

7.本映画に関連し、第三者からの異議申立て、損害賠償請求、その他の請求がなされた場合も、この責は甲に帰するものであることに同意する。

8.甲は、撮影・収録した映像・写真・音声を、撮影時の文脈から離れて不当に使用したり、 他の映画等の作成に使用することがないことに同意する。

本書を2通作成し、甲乙ともに本書に署名・捺印致し、それぞれに保管するものとする。


 下線を施した5,6,8が、取材される側の権利を書いた条項である。藤木はこの合意書にサインした。藤岡も、藤木と全く同様の理由からサインはいったん断ったが、藤木と同文の合意書を示され、最終的にはその文書にサインした。

合意書第5条は、「甲[出崎]は、本映画公開前に乙[藤木]に確認を求め、乙は、速やかに確認する」となっている。しかし、この合意書を出崎は完全に無視する行動に出た。その経過は次のとおりである。

取材後、出崎からの音信は途絶えていたが、出崎から藤木にメールがあったのは、それから2年も経った2018年9月30日のことであった。9月4日から始まった「釜山国際映画祭」で出崎の作品を公開するという。藤木は当然ながら合意書に基づいて、「公開前に」見せることを求めた。これに対し出崎は、「残念ながら、リークの恐れと著作権の関係で見せられない」と開き直って、合意書を無視することを公然と宣言したのである。出崎の作品が上映されるのは10月7日であり、日程的にも合意書6条の実行は不可能だった。なお、藤岡にはこれらの連絡すら全くなかった。要するに、クレジット欄への記載を約束した合意書を、出崎は初めから守るつもりなどなかったのである。これは合意書で契約された債務の不履行に当たることは明白である。

さらに、出崎はこの映画の中で、日本では「テキサス親父」として知られているトニー・マラーノが、自身のユーチューブに投稿している動画を「無許可」で2本使用している。自分の作品の著作権は合意を反故にしてまで守る姿勢であるにも関わらず、他人の作品は平気で「無断盗用」するという悪辣さである。これは著作権の侵害という不法行為である。

4)本質はグロテスクなプロパガンダ映画

 こうした債務不履行の経過に加えて、出来上がった映画自体も、出崎が私たちへの依頼の段階で述べていた約束とは正反対の、学術研究とは縁もゆかりもない、グロテスクなまでに一方的なプロパガンダ映画であった。

 そのことは、映画の冒頭ですぐに明白になる。映画は、藤岡、杉田、ケント・ギルバート、藤木の4人の細いタテ長の顔写真を並べてくっつけた映像を合成し、「彼らは歴史修正主義者(Historical Revisionist)」で、「慰安婦制度の存在は認めているが、現在ある歴史認識を否定し、修正しようとしてたたかっている」という英語のナレーションが入る。このナレーションは、出崎が最初から最後まで自分で担当している。

 日本語で「歴史修正主義」と訳された言葉を耳にしても、あまりピンとこない日本人が多いかも知れない。しかし、英語で"Revisionist" といえば、火つけ強盗よりまだ凶悪な人物、ユダヤ人を大量虐殺したホロコーストを否定するような人非人、倫理観念の全くない人間性を失った人間、という意味になる。出崎は、英語圏でこの映画が上映された時の効果を十分に計算した上で、自分の肉声で、私たちのことを、こういうカテゴリーに属するクズのような人間だと、監督である立場を乱用し「烙印を押した」のである。

 しかし、出崎はインタビューを依頼する際には、「大学院生として、私には、インタビューさせて頂く方々を、尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務があります」とメールに書いていたのである。上に示した映画のつくりのどこに「尊敬」や「公平」があるだろうか。

  さらに出崎は、慰安婦の強制連行や性奴隷であることを否定する私たちに対し、「右翼」、「ナショナリスト」、「歴史否定論者」「性差別主義者」などの、思いつく限りのレッテル用語を繰り出し、執拗に繰り返し烙印を貼り続ける。しかもこれらの英語の文字を画面いっぱいに大書するという徹底ぶりだ。映画の観客が万が一にも間違わないように、顔写真とレッテル用語をインプットしようとする執念が感じられる。

 ここで確認しておきたいのだが、出崎が私たちを”Revisionist” だと決めつける、その根拠は、私たちが実証的根拠をもって慰安婦強制連行説や「慰安婦=性奴隷」説を否定しているということにすぎない。だから、双方の意見を戦わせるなどとうたっていても、一方の見解を持った人物を、予め「人間のクズ」とレッテルを貼ってしまったのでは、結論が最初から決まっているのであり、いかなる意味でも「学術的」な作品にはなり得ない。「学術的」にはこの映画は100パーセント無価値である。

 出崎は、取材の依頼をする際には、こうも書いていた。

 「慰安婦問題をリサーチするにつれ、欧米のリベラルなメディアで読む情報よりも、問題は複雑であるということが分かりました。慰安婦の強制に関する証拠が欠落していることや、慰安婦の状況が一部の活動家や専門家が主張するほど悪くはなかったことを知りました。私は欧米メディアの情報を信じていたと認めざるを得ませんが、現在は、疑問を抱いています」

 これをまともに読めば、映画のナレーションの基準では、出崎自身も"Revisionist" に分類されるのではないか。もちろん、上記の言葉は私たちをインタビューに引き出すための策略であったことはいうまでもない。

5)ディベートの原則を完全に逸脱

 映画には、慰安婦問題について見解を異にする両サイドの人物が登場する。だから、出崎自身も、公式プログラムに寄稿している出崎の応援団も、この映画がディベートの手法を取り入れたものであるかのように宣伝している。だが、この映画ほど、ディベートの本質を逸脱し、それとは正反対の手法でつくられているものはない。この点に関して3つの点のみ指摘したい。

 第一に、ディベートには、「立論」という段階があるのだが、この映画では、特に強制連行などを否定する側には、「立論」の機会が全く与えられていない。「立論」とは普通の言葉で表現すれば「基調演説」にあたるもので、「結論」を主張するだけでなく、その結論を裏付ける「証拠」と、証拠から結論にいたる「論理」の筋道をクリアーに述べることが求められる。両サイドにこの「立論」の機会を与えなければ、それぞれのサイドの主張の核心が提示されず、その議論は単なる言い争いであってディベートではない。肝心なことは、「立論」を述べるためにはある程度のまとまった時間が必要だということである。たとえ映画であっても、少なくとも1分間は上記の用件を満たす発言を両サイドにさせなければならない。

 ところが、映画「主戦場」では、1分に満たない、時には数秒間の発言で「結論」だけを切り取って使う手法が濫発され、「立論」の機会が少しも保障されていない。慰安婦論争は実は国内ではすでに決着のついたテーマであり、私たちはインタビューの中で「立論」に相当する議論を展開しているのだが、その部分は全く映画に採用されていない。反対側についても「立論」がなされていない点では同じことが言えるが、ただ、反対側には長くしゃべらせており、その分だけ当然有利な印象を生みだす。このようにして映画の編集が一方の肩を持っていることだけは明白になっている。

 第二に、ディベートには「反駁」とよばれる段階があり、お互いに相手の議論に対する反論を展開するのだが、このステップでは両者の発言機会が公平になるように細心の工夫をしたルールが発達している。ところが、この映画には、このディベートに不可欠な「公平の原則」が完全に踏みにじられている。

 映画では、まず私たちの発言が結論部分だけを切り取る形で、次々とたたみかけるように、同じことを言わせている。次いで、それに対する反論が展開される。映画はおおむねこのパターンで進行する。私たちの側に相手の側の議論を反論する機会は全く保障されていない。双方が登場しているというのが大事なのではない。どのように公平に発言の機会が与えられているかが重要なのである。こうした観点から見ても、この映画は論争を装っているものの、ディベートとは無関係のプロパガンダ映画になっている。これはこの映画が、観客を宣伝・扇動の対象としてのみ見ており、知性をもった理性的な存在として扱っていないことを意味する。

 第三に、ディベートでは双方の討論者の数は、当然同数でなければならない。ところが、この映画では、公式プログラムの最初のページに顔写真付きで紹介されている人数だけでみても、「慰安婦=性奴隷」派18人に対し、否定派は8人と、前者が後者の2倍以上になっている。さらに、冊子に載っていない映画の登場人物の数を入れると、その差はもっと広がるだろう。

 以上のことは私たちが言うだけではなく、公平な第三者も同じ判断をするはずなのだ。例えば、江川紹子はツイッターで映画を観た感想を、「作りのあまりのアンフェアーさにうんざり。一人一人が考える機会をくれる作品かと期待していたけど、むしろ分断と対立を煽る作りに、かなり落胆した」(5月7日発信)と書いている。プロパガンダ映画としても、一定の眼力のある人には容易に底が割れてしまう出来の悪い作品だともいえる。

6)目的は保守系論者の人格攻撃

 では、この映画の本当の狙い・目的は何かと言えば、慰安婦問題で発言している保守系論者の「人格攻撃」、「誹謗中傷」にあると言って差し支えない。すでに述べたように、慰安婦論争は日本ではすでに決着のついた問題である。事実と論理に基づく論争によって、慰安婦の強制連行説や「慰安婦=奴隷」説は完全に破綻してしまったのである。ただ、慰安婦の女性の中に気の毒な身の上の人がいたことは誰もが同情を禁じ得ないところで、私たちもその点に限って言えば特に異なる見解を持っているわけではない。しかし、だからといってそれを根拠に日本の過去を不当に描く虚偽と欺瞞はゆるされるものではない。元慰安婦の女性は、運動家たちに担がれて言わされていることも否定できない。保守系の論者の共通点は、このような日本糾弾に元慰安婦の女性が政治利用されていることに反対しているだけなのである。

 しかし、論争で負け続けてきた人々にとっては、大いにフラストレーションがたまる状況だったに違いない。この観客層を狙って、この映画はつくられたといっても過言ではない。「論争に敗北した人々の鬱憤晴らし」の機能をこの映画は担っているのである。そのことは、観客の感想にもよくあらわれており、「溜飲がさがった」といった感想が見られる。4月4日の外国特派員協会での映写会には、100人あまりの人々が詰めかけた。欧米系外国人と日本人が半々という構成だったが、映画の節々で歓声と怒号が飛び交う一種異様な雰囲気であった。これらの人々の鬱憤晴らしのための血祭りにされたのが私たちだった、ということになる。私たちは、人格を侮辱し、名誉を毀損するために映画に「出演」させられているのである。

7)出崎と関係者の責任を問う

  映画の問題点は無数に存在する。しかし、上記の簡単なスケッチからだけでも、この映画の悪質な本質が浮き彫りになっていると考える。そこで、私たちは、次のことを要求し、その線に沿って今後行動する。

 1)出崎は、私たちがこのような商業映画に出演することを承諾していないにもかかわらず、私たちを欺いて映画に「出演」させた。このことは、私たちの肖像権を侵害している。また、映画の内容は、私たちの名誉を毀損している。さらに、出崎はトニー・マラーノの著作権を侵害している。これらは明白な不法行為である。出崎は、撮影時に結ばれた合意書という名の契約書を踏みにじり、そこに規定された義務を果たしていない。これは「債務不履行」であり、悪質な違法行為に当たる。私たちは、出崎の違法行為・不法行為を法的に追及する。

 2)以上のことから、出崎と配給会社東風には、直ちにこの映画の上映の中止を求める。さらに、映画の公式プログラムやポスターなど一切の宣伝物から、私たちの名前や顔写真をすべて削除することを求める。

 3)今回の事例は、大学の名を利用した詐欺行為とも言えるもので、このような違法行為の根拠地を提供する結果となった上智大学の責任も免れない。私たちはすでに、上智大学大学院に対し、出崎等の在学期間その他について事情を照会したが、これに対して、本人の同意なくして答えることはできないという趣旨の回答を受け取った。出崎の指導教官は中野晃一教授であることが、国会の議員会館で開かれた「安倍内閣打倒」を掲げた集会において中野教授本人の口から表明されており、同大の「研究活動上の不正行為に関するガイドライン」(平成28年3月1日制定)にも照らして、今後その関与の状況と責任を明らかにして行く。

 4)上記の3)に関連して、出崎の「卒業制作」として提出された作品は、今、劇場で公開されている映画と同じものではなかったのではないか、という疑念もある。後者にはあまりにも多くの映画関係者が外部から関わっているからである。もしこれが事実であったなら、藤木合意書の第8項、「甲は、撮影・収録した映像・写真・音声を、撮影時の文脈から離れて不当に使用したり、他の映画等の作成に使用することがないことに同意する」という規定にも明白に違反する。

以上