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月刊Hanada 2019年8月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

的外れな論評

 第一に、出崎は藤岡の映像・音声を、「撮影時の文脈から離れて不当に使用」した。藤岡は映画「主戦場」の中で、「国家は謝罪してはいけない。国家は謝罪しないというのは基本命題だ。国家は、仮にそれが事実であったとしても、謝罪したらその時点で終わりなんです」と発言している。これをドキュメンタリー制作者の大島新は、「あまりにもあけすけで、無防備な発言」と評している(文春オンライン、六月十一日)。しかし、それは全くの的外れである。この発言は、口にすることがはばかられるような性格のものではない。

 藤岡はこの発言を、アメリカを念頭において行った。アメリカは第二次世界大戦末期に、日本に原爆を投下して多数の無辜の人々を殺害するという、大戦中でも最大・最悪の戦時国際法違反を犯した。これはまぎれもない事実だが、これについてアメリカは、日本に一度も謝罪していない。オバマ前大統領が広島に来たのは、生きのこりの男性被爆者の肩を抱いて共感の意を表現しただけで、国家として謝罪したのではない。アメリカだけではなく、かつて植民地を持っていたヨーロッパの国で、旧植民地国に謝罪した例はない。藤岡は事実を述べただけである。

 これは事実であるだけでなく、国家間のあり方の原則だ。かつて戦争をした国同士でも、いったん講和条約を結んで戦争に終止符を打った後には、戦争中の出来事について相手国に謝罪したり、謝罪を求めたりしないのが国家間のルールである。日本だけがいつまでも謝罪を求められ、かつ謝罪しているのは、日本が完全に独立した国家ではないことの現れである。

 さて、映画「主戦場」では、藤岡の発言の直後に、レーガン大統領が第二次世界大戦中に強制キャンプに入れられた日系アメリカ人に一律二万ドルの補償をした上で謝罪する映像を、これ見よがしに流した。「ほら、アメリカという国家もこのように謝罪しているではないか」と言いたいのだ。藤岡は事実に反する嘘をついている、というのが映画が藤岡に加えた非難である。

 だが、これほど愚かな話はない。「国家は謝罪しない」という命題は、国と国との間、国家間の関係について述べたものであって、一つの国家の中での政府と国民の間の関係について述べたものではない。レーガン大統領が謝罪した相手は、強制キャンプで辛酸をなめた日系人であり、彼らはれっきとしたアメリカ国民だったのだ。

発言の文脈を無視

 国家は国民の間で差別的処遇をしてはならないというのは、近代国民国家の存立の基礎であり、国家の大原則である。だからレーガンは、この件について犠牲者に謝ったのだ。これは政府(国家)と国民の間の関係である。日本だって、公害で敗訴すれば国家は謝罪することがあるし、最近の例ではハンセン病の患者のかつての処遇について安倍首相が謝罪したが、これは国家間ではなく国家と国民の間の関係であるから、誰も原理的には問題視しない。

 全ての単語は、それが発せられる場の文脈のなかで意味をもつ。文脈を無視して単語の意味を確定しようとすることは、日常の会話においてさえ不可能である。慰安婦問題とは国際問題だと、出崎自身がメールでも文書でも繰り返し述べているではないか。合意書にすら、卒業制作のテーマを「歴史問題の国際化」だと出崎は書いているではないか。慰安婦の半数は日本人で、朝鮮半島の出身者よりもはるかに多かったのだが、元日本人慰安婦で国家を訴えたケースは存在しない。これだけでも、韓国人慰安婦の証言の信憑性を疑うに十分な事実である。

 「国家は謝罪しない」という命題が語られる文脈とは、国際関係を論じている場の話であり、国家と国民の間の国内問題は視野に入っていない。映画のつくりは、原理的に異なる二つの文脈を混同し、映画制作者の無知をさらけ出したのだ。

 ジャーナリストの江川昭子も、「国家が過去を謝罪する問題について、米国の戦時中の日系人強制収容問題という国内問題を対比させて、日本を批判するのはアンフェアの一例」(五月七日発信)とツイッターに書いた。何も特別なことではなく、常識のある人ならだれでも気付くことなのだ。

 右のような混同を犯すとは、制作者には社会科学の基本的な概念すらないことの表れである。この誤りは致命的で、藤岡が指導教官ならこれだけで落第点を出す。出崎の指導教官はどうしてこれを合格させたのか、上智の教育のレベルは一体どうなっているのか、心配である。

(続く)

月刊Hanada 2019年8月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

「承諾書」から「合意書」へ

 帰国後の九月三十日、出崎からメールが届いた。「先日、[テキサス親父事務局の]藤木俊一さんにインタビューさせていただきまして、その際に新しい合意書を作成致しました。添付をご確認くださいませ。ご覧いただき、こちらでご承諾頂けるかご確認頂けますでしょうか?」という文面だった。添付されていたのは別掲の文書(合意書)だった。

 合 意 書

出崎・ノーマン・エム(以下「甲」という)と、藤木俊一(以下「乙」という)は、甲の製作する歴史問題の国際化に関するドキュメンタリー映画(以下「本映画」という)について以下のように合意する。

1.甲やその関係者が乙を撮影、収録した映像、写真、音声および、その際に乙が提供した情報や素材の全部、または一部を本映画にて自由に編集して利用することに合意する。

2.乙が甲に伝えた内容は個人の見解であり、第三者の同意を得る必要、または第三者に支払いを行う必要がないことを確認する。

3.本映画の著作権は、甲に帰属することを確認する。

4.本映画の製作にあたって、使用料、報酬等は発生しないことを確認する。

5.甲は、本映画公開前に乙に確認を求め、乙は、速やかに確認する。

6.本映画に使用されている乙の発言等が乙の意図するところと異なる場合は、甲は本映画のクレジットに乙が本映画に不服である旨表示する、または、乙の希望する通りの声明を表示する。

7.本映画に関連し、第三者からの異議申立て、損害賠償請求、その他の請求がなされた場合も、この責は甲に帰するものであることに同意する。

8.甲は、撮影・収録した映像・写真・音声を、撮影時の文脈から離れて不当に使用した り、他の映画等の作成に使用することがないことに同意する。

本書を2通作成し、甲乙ともに本書に署名・捺印致し、それぞれに保管するものとする。

 このメールで、藤岡は藤木も出崎のインタビューを受けていたことを初めて知った。この間、ジュネーブへの往復などで藤木とは頻繁に会う機会があったが、どちらからも出崎の取材の話は出なかった。普通、誰の取材を受けたなどとは、特別のことでもない限り他人に話さないものである。ここまでのところは、出崎のインタビューを受けたことの中に、藤岡にとって「特別なこと」は何もなかった。

 ただ、藤木の場合も、映像・音声機器の開発・販売の会社を経営し、ビジネスの世界で生きてきたので、出崎の承諾書を見て、藤岡が外国のテレビ局の契約書に感じたと同様の異様な片務性を感じとったに違いない。

 その合意書を読んだ藤岡は、これは比較的よくできていると思った。5・6・8項に、取材対象者の権利がキチンと書き込まれているからだ。藤木は相当注文を付けたに違いない。そこで、合意書の「藤木」を「藤岡」に変えて送るように返信した。

 時が流れて約二年後の二○一八年五月二十一日、出崎は藤岡のインタビューの映像を送ってきた。ところで、それは「クリッピング」だという。全編はいずれ改めて送ってくるのだろうと藤岡は思った。自分だけの映像なら見る必要もない。それが映画の全体の中にいかに組み込まれているのかが重要だ。

 例えば、藤岡の発言の前に、「『歴史修正主義者』の藤岡はこう語る」というナレーションを入れて藤岡の映像を入れても、クリッピングを見ただけではその処理はチェックできない道理だ。そして、これは実際に起こったことなのだ。

 後で分かったことだが、藤岡がサインした合意書は、確かに藤木が全体的に手を入れたものだった。出崎のつくった「承諾書」という文書名を「合意書」と変更し、「甲・乙」で表記する形式にしたのも藤木の修正だった。何よりも重要なのは、「承諾書」にあった次の一項が「合意書」にはないことだ。

 《5 製作者またはその指定する者が、日本国内外において永久的に本映画を配給・上映または展示・公共に送信し、または、本映画の複製物(ビデオ、DVD、または既に知られているその他の媒体またはその後開発される媒体など)を販売・貸与すること》

 これほど詳細かつ具体的に、制作者側のやりたい放題の権利を書き込むとは、ずうずうしいにもほどがある。「合意書」でこの5項が拒否され、明確に否定されたことは、今配給会社を通して上映されているような事態を「合意書」が認めていないことを意味する。

  それだけではない。「合意書」には

 《8 甲は、撮影・収録した映像・写真・音声を、撮影時の文脈から離れて不当に使用したり、他の映画等の作成に使用することがないことに同意する》と書かれている。出崎のその後の行動は、この規定を破っていることが明白だ。この点に関して、二つの重大な事実を指摘したい。

(続く)

月刊Hanada 2019年8月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

衣の下の鎧が見えた

 出崎の完璧と見えた作戦も、ほころびを見せた瞬間があった。それはインタビューの収録が終わってから、彼がインタビューの内容に関する権利関係について承諾書を用意して来たのでサインしてほしい、と切り出した時だ。〈今のインタビューは大学院の卒業制作のためであると言ったではないか。こいつは何を言い出すのか〉と藤岡は思った。

 藤岡がこのような反応をしたことには伏線があった。それより半年くらい前、ある外国のテレビ局の取材を受けた際に、契約書にサインを求められたのだが、その契約書の中味を見ると、取材者の権利だけを書き込んで、取材される側の権利には何も言及しない「やらずぶったくり」の内容であった。

 契約とは当事者の双方を縛るものであるはずだ。片方の権利だけを一方的に書いた契約書など、契約の名に値しない。そこで、藤岡は取材は受けたが、署名は拒否した。テレビ局というのは誠に傲慢で得手勝手なものである。結局、放送では藤岡の発言は全てボツにされ、別の人物が「軍国主義者」の「悪役」を演じさせられていた。

 そんな経験があったので、藤岡は出崎が承諾書を取り出す前に、出崎に対して「そういう類いの契約書にサインすることは私の趣味に合わない」と言って署名を拒否し、チームを追い返した。だから藤岡は、出崎が用意した承諾書なるものの中味を見ていない。

 この承諾書の一件は、あとから考えると、衣の下から鎧が透けて見えたようなものである。にもかかわらず、藤岡はその疑念を突きつめることなく、契約社会のアメリカかぶれの青年だから、欧米のテレビ局の悪しき慣習を模倣したのだろう、というくらいに考えていた。それほど、真面目な学生になり切った出崎の演技がうまかったということでもある。

 しかし今では、初めから商業映画をつくって日本の保守派を侮辱し、攻撃しようとした出崎の意図が明白になっている。おそらく、藤岡にサインを拒否されて出崎は計画が頓挫しかねず、大いに困惑したのだろう。取材日の三日後に、次のメールを藤岡に寄越した。以下は原文のままであり、[  ] 内は藤岡による最小限の訂正ないし補足である。

出崎から藤岡へ(2016.9.12

 《ドキュメンタリー承諾書の件ですが、私たちの指導教官と話しましたところ、藤岡先生の出演部分がドキュメンタリーを[の][中]核を占めるのであれば(そうなると思います)、やはり承諾書へのサインがなしには、ドキュメンタリーの製作へ着手することが難[し]いという(ルビ=ママ)言われました。

 ご提案させて頂きたいのですが承諾書に、以下の一文を加えるのはいかがでしょうか?「製作者は、出演者の姿・声の整合性を保ち、出演者の言葉を謝(ルビ=ママ)り伝える、あるいは、文脈から離れて使用することがないと、同意する」

 また、映画をご覧になって、ご自身が不正確に描写されているとお感じになった場合は、ドキュメンタリーの最後に先生が、本ドキュメンタリーにおける説明に異を唱えていらっしゃると付け加えます。しかし、藤岡先生の出演箇所を全て削除することは、新しいドキュメンタリーを製作しなければならず、修士を期限までに修了するためには、再製作は難しいことをご理解いただきたく存じます。》

慰安婦ドキュメント「主戦場」 デザキ監督の詐欺的手口 (2) 修士の終了期限に間に合わなくなる、という泣き落とし作戦である。最初のメールに比べると、文章の推敲が不十分で、誤字と文法的な間違いだらけだ。よほど急いで書いたのだろう。今から考えると、ここで「指導教官」という言葉が登場するのは注目に値する。出崎は「指導教官」の指導を絶えず受けながら卒業制作と称する作業に励んでいたのである。だとすれば、出崎の詐欺的行為に「指導教官」も最初からかんでいたことになる。  このメールを受け取ったとき、藤岡は〈出崎の「提案」なるものはあまりに微温的で、取材対象者の権利を守るための役には立たない〉と思った。藤岡はすぐに返答せずに、「十三日から十九日まで、ジュネーブとパリに行ってきます。帰国後、相談しましょう」と返答した(九月十三日)。

(続く)

月刊Hanada 2019年8月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

取材対象者へのアプローチ

 まず、出崎はどのようにして藤岡にアプローチしてきたのだろうか。

 出崎からインタビューに応じてほしいとの依頼を受けたのは、二○一六年八月十一日のメールだった。以下、全文を引用する。

出崎幹根から藤岡信勝へ(2016.8.11

 《藤岡 信勝 先生

 突然のメール失礼致します。上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科の出崎幹根と申します。六月に中野サンプラザでの『国連が世界に広めた「慰安婦=性奴隷」の嘘』出版記念シンポジウムでお会いし、ご挨拶させていただきました。この度は、慰安婦問題に関して、藤岡先生にインタビューへのご協力をお願いいたしたく、ご連絡させていただきました。

 卒業制作として、他の学生と共にビデオドキュメンタリーを製作しておりまして、ドキュメンタリーは「歴史議論の国際化」をテーマとしています。ご承知の通り、現在、慰安婦問題には多くの国々が関わっています。問題に関わっている方々やその活動について学ぶと共に、権威でいらっしゃる藤岡先生のような方からもご見解をお聞かせ願いたく存じております。

 もしドキュメンタリーについて更にお知りになりたい場合は、何なりとお聞きください。インタビューにご協力いただけるようでしたら、仮の質問のリストをお送りします。宜しくお願い致します。      出崎幹根》

 意を尽くした立派な日本語の文章である。ただ、藤岡はこのメールにすぐに返事を出すことはしなかった。多忙でもあった。

 メールの交信記録を辿っていくと、次に出崎からアプローチがあったのは、八日後の八月十九日だった。この時は「新しい歴史教科書をつくる会」の事務所に藤岡宛のメールが送られてきた。つくる会を経由してのアプローチである。今度は無視することで会のイメージを損ねてはいけないという心理がどこかで働いた。

 つくる会経由の二回目のアプローチがなければ、藤岡のインタビューは実現しなかった。ターゲットとする人物に直接アプローチしてダメな時は組織を経由するとよいということは、営業マンの鉄則のひとつなのかもしれない。出崎の作戦はまんまと成功したことになる。

 二回目のメールは、最初のものと文面は同じだった。出崎のメールによれば、藤岡は一度出崎と会っていたことになる。出崎が言及している中野サンプラザでのシンポジウムとは、二○一六年六月四日に開催した藤岡信勝(編著)『国連が世界に広めた「慰安婦=性奴隷」の嘘』(自由社刊)の出版記念会を指す。この本は、二○一六年三月ころまでの、世界の国々にまたがる慰安婦問題の経過の整理と運動の総括を兼ねて、なかんずく二○一四年から始まった、ジュネーブの国連人権理事会や条約にもとづく各種委員会への代表派遣の意義と現状を明らかにするために出版したものであった。

  百人あまりの人が集まった出版記念会の会場では、学生風の三人組の人物がビデオを撮影したりしてごそごそやっているのは気付いていたが、集会が終わってから、女性の立場から慰安婦問題に取り組む「なでしこアクション」の山本優美子代表から紹介を受けていたことを思い出した。

 あれは上智の学生だったのか。道理であのとき、山本の出崎らを見る表情に、学生に対する保護者のような好意的な笑みがあった記憶が藤岡の中で甦った。学生たちは山本の大学の後輩にあたるのだ。

 藤岡は、「返事が遅れて申し訳ありません。インタビュー、お引き受けします。日程を調整したく存じます。ご希望の日時をお知らせ下さい」という文面のメールを送った。八月二十一日のことだった。

 ●人を乗せる鉄則に合致

  ここまでのところを、小さく総括してみる。藤岡は、メディアの取材で何度も裏切られた苦い経験を持ち、従ってそれなりに警戒心を持っていたはずだが、出崎はどのような仕掛けで藤岡をインタビューに引っ張り出すことに成功したのだろうか。

 第一に、そして今回の係争問題の発生において最も重要なポイントは、出崎が大学院生の身分を獲得しており、しかも、インタビューでも真面目そうな学生を演じ切ったことだった。私学の名門・上智大学という名前のブランド力も、人を信用させる重要な要素のひとつだ。ブランド力の利用は、詐欺師の常套手段でもある。

 藤岡が過日観たテレビのワイドショウでは、いわゆる「オレオレ詐欺」の手口として、「NHK静岡放送局の世論調査」を装って被害者にアプローチした事例が取り上げられていた。ここでは「NHK」のブランド力が利用されている。

 さらに言えば、複数の学生で行動したのも、ビデオ撮影などの手間が実際に必要だったとはいえ、確かに学生のグループなのだと人を安心させる要素になっている。出崎ひとりが歩き回っている図と比べる思考実験をしてみれば、両者の違いは明らかだ。

 第二に、学生といえども、いきなり未知の者からメールや電話をもらったら、信用出来るかどうかを疑い、警戒するのが普通であろう。出崎はその恐れをなくすために、保守派の集会に顔を出し、ターゲットに顔つなぎをしていた。先輩の山本を「ゲイト・パーソン」(民族誌的な研究において使われる専門用語)にしたのも、うまい作戦だ。実社会では、同郷に次いで同門がビジネスのきっかけになることがしばしばある。そして藤岡宛のメールに、話の糸口として「集会でご挨拶した」と書く。

 メールの中で、藤岡の編著書のタイトルを正確に書いていることも見上げたものだ。これを抽象的に「出版記念会で」というのと比較してみれば効果は歴然だ。ただし、その本を出崎が読んでいないことだけは間違いない。

 第三に、一度無視されたり拒否されたりしても、諦めずに粘り強くルートを変えてアプローチする。藤岡の場合、「つくる会」という組織を経由している。藤岡にとって「つくる会」は大切な組織なので、そこに迷惑がかかってはいけない、という無意識の心理が作用したらしいことはすでに書いた通りだ。  以上の三つが、藤岡の場合の基本的仕掛けなのだが、まとめてみると、人を乗せるための鉄則に合致しているとはいえ、ありきたりで単純なものだ。しかし、それをここまで実行する人はそんなに多くはない。

(続く)

月刊Hanada 2019年8月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

●連載開始にあたって

日本の保守系論者約十人を、学問研究の名をかたって取材し、「慰安婦=性奴隷」説に立ったプロパガンダ映画「主戦場」のなかで侮辱・論難の材料とした事件は、日本の左翼・リベラル派が犯した前代未聞の大規模な計画的詐欺事件として将来記録されるでしょう。
9月19日には、上映差し止めと損害賠償を求める民事訴訟の第一回口頭弁論が午後2時東京地方裁判所で行われます。それに向けて、より多くの方々にこの事件の真相を知っていただき、慰安婦問題にも最終決着をつける一つの機会としてこの訴訟に勝訴すべく、これから拙文を連載します。
各種媒体にご自由に拡散し、ご利用下さいますようお願いいたします。また、ご意見をお待ちしています。 (藤岡信勝記)

「大学院生」という肩書

 今話題の映画「主戦場」の監督ミキ・デザキが、上智大学大学院生として出崎幹根という日本名で、男女二人の院生とともに、東京都文京区水道にある「新しい歴史教科書をつくる会」の事務所に現れたのは、二○一六年九月九日のことだった。藤岡はこの日に、出崎らの慰安婦問題についてのインタビューを受け、それをビデオに録画することを承諾していたのである。

 出崎に同道してきた二人は、岡本明子、オブリー・シリブイ(Silviu Oblea)という名前である。ビデオカメラの操作、マイクの音量の調整、インタビューアーを三人で分担していた。三番目の役目はもっぱら出崎が担っていた。出崎の年齢は三十代と推定され、鼻髭を蓄えたやさ男といった風貌の人物だった。

 日本語を流暢に話す百パーセントの日本人で、ハーフっぽい顔立ちの影はどこにも見当たらなかった。だから藤岡は出崎を、アメリカ留学や在住の経験があるだろうが、普通の日本人と思い込んでいた(実際はアメリカ国籍を有する日系二世のアメリカ人だった)。

 出崎は、〈アメリカのリベラルなメディアの情報の影響を受けてきたが、慰安婦の強制連行の証拠はなく、慰安婦の待遇も言われているほど酷くはなかったことを知った〉という意味のことを、インタビューの合間に、断片的にしゃべった。態度は紳士的で、藤岡の話に批判的な眼を向けたりすることはなく、かといってなれ合うでもなく、ごく普通の学生のように見えた。

 藤岡は慰安婦問題の起こりから現状まで系統立ててたどり、慰安婦の「強制連行」説はどのように崩壊したか、なぜ慰安婦は「性奴隷」ではなかったといえるのか、「20万人」説がなぜ荒唐無稽な数字なのか、などの論点をわかりやすく、体系的に話した。約束ではインタビューは一時間の予定であったが、実際は一時間半程度の長さになった。出崎の質問のなかに特にユニークな、印象に残るような内容のものはなかった。藤岡は大学の授業のちょうど1コマ分に当たる90分のレクチャーを、無償で上智大学の三人の大学院生を相手に施したことになる。

  藤岡がこのインタビューを引き受けたのは、出崎が上智大学の大学院修士課程に在籍する学生であり、修士課程を修了するための修士論文に相当する「卒業制作」として、この映像作品を仕上げて大学に提出するためである、との説明を受けたからである。それが最大の、決定的な要因であった。

 よもや一般の映画館で上映する商業映画の素材として、しかも藤岡を貶める材料として自分の発言が使われるなどとは夢にも思わなかった。藤岡はいかなる意味でも、作品の商業的な公開を許可したことはない。もし、それが商業映画だとわかっていたら、初めからインタビューに応じることはあり得なかった。出崎は契約違反を犯し、平たく言えば嘘をつき、藤岡を騙したのである。

 騙されたのは藤岡だけではない。櫻井よしこ、加瀬英明、ケント・ギルバート、杉田水脈、山本優美子、トニー・マラーノ(テキサス親父)、藤木俊一、という錚々たる保守系の論客が出崎の毒牙にかかったのである。総計八名になる。

 ジャーナリストの江川紹子はツイッターで、「どういう口車であれだけの人たちを引っ張り出したのか、その手腕はすごいとひたすら敬服。どこかでその手法を語られているのであれば、ぜひ学びたい。皮肉ではなく、本当に」(5月7日発信)と書いた。出崎は八人のそれぞれの特徴を調べて、アプローチの仕方や対応を変えている。以下にやや詳細に述べるのは、その中の「藤岡ケース」にすぎない。ただ、以下の記述が少しでも江川の参考になれば幸いである。

(続く)

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