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「ニューズウィーク日本版」七月九日号(七月二日発売)

藤岡信勝(教育研究者)

★8月29日、ケント・ギルバート他5名が、代理人弁護士を通して、上智大学に「通告書」を内容証明郵便で送りました。6月21日、研究上の不正行為を告発する窓口として指定されていた大学の監査室に被害を申し出たにも関わらず、一切無視されてきたので、やむを得ず取った手段でした。
すると上智大学は一転して対応を変え、9月4日、学長名で「調査委員会」を設置したので、学内手続きの必要から委員について異議があれば7日以内に異議申立書を提出せよと求めてきました。わずか1週間の猶予しかありませんでしたが、期限の11日、上智大学研究推進センターに出頭し、事務の担当者にA4・6ページの文書を手交して来ました。調査委員会なるものの実態については、いずれ書くことになるでしょう。(9月12日、藤岡信勝記)


大学院生の卒業制作を名乗り「合意書」にも違反ー議論を呼ぶ慰安婦映画の「出演者」がデザキ監督に反論

本誌「ニューズウィーク日本版」の19年6月25日号に「『主戦場』の新たなる戦場」というタイトルの記事が掲載された。筆者は朴順梨(以下、人名は全て敬称略)で、今後はこの記事を「朴レポート」と呼ぶことにする。
私・藤岡は、自分の意思に反してこのドキュメンタリー映画に「出演」させられている者の一人だが、藤岡のインタビューが入場料1800円で一般の劇場で上映される商業的目的の映画に使われるとは夢にも思わなかった。寝耳に水である。
慰安婦問題の最も大きな論点は、慰安婦は単なる売春婦であったのかそれとも性奴隷だったのかという問題だ。映画は「慰安婦=性奴隷」説に立ち、この説に反対する人物に「歴史修正主義者」などのレッテルを貼っている。
そこで、映画の中でこの種の不当な扱いを受けた櫻井よしこ、ケント・ギルバート、加瀬英明、トニー・マラーノ、藤木俊一、山本優美子、藤岡信勝の7名は連名で共同声明を発表し、5月30日に抗議の記者会見を開いた。
それに対しこの映画の監督ミキ・デザキは私たちの記者会見の同日、同時刻に合わせてYouTubeに反論の動画を流し、さらに6月3日には配給会社「東風」の役員や弁護士と共に対抗する記者会見を開いた。朴レポートはデザキサイドに立って書かれたものである。
本稿では当事者の一人として、この記事に反映されたデザキの主張に対し、2つの論点に絞って反論したい。他の論点については、紙幅の都合で別の機会に譲る。

●「卒業制作」の触れ込みで
第一の論点は、インタビューが何を目的にしてなされたかという問題である。デザキは藤岡あての最初のメールで、上智大学の大学院生を名乗り、インタビューの目的を次のように書いてきた。
「卒業制作として、他の学生と共にビデオドキュメンタリーを製作しておりまして、ドキュメンタリーは『歴史認識の国際化』をテーマとしています。ご承知の通り、現在、慰安婦問題には多くの国々が関わっています。問題に関わっている方々やその活動について学ぶと共に、権威でいらっしゃる藤岡先生のような方からもご見解をお聞かせ願いたく存じております」
歯の浮くようなお世辞はともかく、かつて大学教員のはしくれであった藤岡も学生を指導していた時には、外部の方々にいろいろお世話になった。だから、大学院生の卒業研究のためなら協力しなければならないと思ったのだ。
山本優美子に対するメールは、もっと詳細にその目的を述べていた。「これは学術研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません」「公正性かつ中立性を守りながら、今回のドキュメンタリーを作成し、卒業プロジェクトとして大学に提出する予定です」
このように、私たちは例外なく、「学術研究」「卒業制作」「卒業プロジェクト」であると説明されて、その前提で協力し、文書にサインしたのである。「出来がよければ、映画祭への出品や一般公開も考えている」と伝えたとデザキは言うが、藤岡は一切聞いていない。
ところが、朴レポートでデザキは、承諾書・合意書には「学術プロジェクトとは一切書かれていない」とシラを切っている。アプローチの段階では、商業映画であることを隠蔽し、映画を公開するときは、それが大学院の卒業制作であることをあくまで隠す。これはデザキの企画が初めから巧妙に仕組まれたものだったことを疑問の余地なく示している。
第二の論点は、デザキの行為が合意書に明白に違反しているという問題である。
藤岡はデザキの研究的な誠実さを一貫して疑わなかったが、一度だけ不審の念を抱いた瞬間があった。それは、インタビューのあとデザキが契約書にサインを求めた時だった。〈大学院修士課程修了に必要な卒業制作であると言っておきながら、人に契約させるとは何事だ〉と藤岡は腹の中で思った。
それで、「そういう契約書にサインすることは趣味に合わない」と言って文書を見ることもせずにサインを拒否し、学生たちを追い返した。藤岡らを騙し商業映画をつくろうと企んでいたデザキは困ったのだろう。指導教官から「承諾書への藤岡のサインなしには卒業制作を続けてはならない」といわれた、修士を期限までに修了できない、と泣き落とし作戦に出た。

それでも藤岡が無視すると、今度は、デザキが藤木俊一と交わした「合意書」を送ってきて、これで何とかサインしてほしいと懇願した。読んで見ると、藤木が全面的に書き換えた「合意書」は、取材される側の権利も書かれていて、よく出来ている。それで藤岡は妥協して、合意書にサインしたのである(詳細は「月刊Hanada」8月号の拙論を参照)。

●明白な「合意書」の違反
デザキによる合意書の違反は、2点ある。順番に説明しよう。
①5項違反
合意書5項には次の規定がある。「甲[デザキ]は、本映画公開前に乙[藤岡]に確認を求め、乙は、速やかに確認する。」
本映画とはデザキの「卒業制作」を指す。それ以外の話は全く出ていなかったのだから、これ以外の解釈はあり得ない。ここで「公開」とは、作品が修士課程の修了を認めるに足る水準の内容であるかどうかをコースの教授陣が審査するために上映することである。紙の論文なら「提出」のみでよいが、ビデオ作品だから上映して「公開」しなければ内容を評価することは出来ない。「公開」には、学内で学生を対象に上映することも含まれる。その公開の「前に」映画を見せる、というのが5項の規定の意味である。
ところが、18年5月21日にデザキから送られてきたのは「映画」ではなく、「映画の中で使用する[藤岡の映像の]クリップ」だった。それでも、藤岡はクリップを見て感想を言うつもりだったが、多忙に紛れて期限の2週間が経ってしまった。その時藤岡は、どうせ映画が送られて来るのだから、その時に自分の映像も見ることができる、と軽く考えていた。
しかし、その後デザキは映画の映像を送ってこなかった。ただ、藤岡はデザキを疑っていなかったから、特に請求して送信を急がせることもせず、そのうちこのことは忘れてしまっていた。もしこの時、映画を見ていたら、「歴史修正主義者」などのレッテル貼りを絶対に見逃したはずがない。当方から請求しなかったからといって、5項の「不作為」がゆるされるものではない。
②8項違反
合意書の8項には、「甲[デザキ]は、撮影・収録した映像・写真・音声を、撮影時の文脈から離れて不当に使用したり、他の映画等の作成に使用することがないことに同意する」と書かれていた。藤岡は、デザキの「卒業制作」には協力したが、商業映画に使用してよいという許可を与えたことは一切ない。藤岡の許可なく、無断で、勝手に藤岡のインタビュー映像等を自分の商業映画に使ったデザキは、「他の映画等の作成に使用することがないことに同意する」という合意書の禁止規定に明白に違反している。これでデザキはアウトなのだ。

月刊Hanada2019年9月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

不誠実な上智大学

  上智大学には「学術研究倫理ガイドライン」(平成二十二年制定)がある。その前文では、「イエズス会の設立による本学は、カトリシズムの精神に基づき、学術の中心として真理を探究し、文化の発展と人類の福祉に寄与する研究活動を行ってきた」と宣言し、「研究活動には高い倫理性が求められている」としている。

 対象となる「研究者」には、研究活動に従事する限りにおいて学生も含まれる(2項)。また、「研究を指導する立場にある者は、不正行為が行われないよう、指揮下にある研究活動及び研究者等の管理、配慮を行う」(4項)としている。

 「上智大学における研究活動上の不正行為の防止に関するガイドライン」(平成二十八年制定)では、告発窓口に関する規定があり、「研究活動上の不正行為に関する告発は、監査室で受け付けるものとする」となっている。

 そこで、藤岡は山本優美子の協力のもとに、六月二十一日、告発窓口の置かれた監査室に電話をし、担当者の男性に約三十分にわたって事情を説明した。当方の希望は、学長または研究倫理担当の副学長に面会し、事情を訴える機会を得るためのアポを取ることだった。それは、大学が正確な事情を知って主体的に問題を処理することを期待しての行動だった。

 しかし、担当者は、「不在で連絡がとれない」→「連絡がついたが、検討中で返事ができない」→「面会希望の件を取り上げるかどうかも含めて検討中である」→「いつまでに回答出来るか約束はできない」といった調子で何日も費やし、大学トップの誠意ある態度がうかがわれなかった。この上は、別の方法で大学としての責任を問うしかない。

いかなる責任を取るのか

  ここで、大学がこの種の出来事についていかなる責任を取るべきかについて考えるために、「首都大学ユーチューブ事件」を取り上げてみよう。

 平成二十二年(二○一○年)六月、首都大学東京システムデザイン学部インダストリアルアートコースに所属する四年生の二人の男子学生は、卒業制作として動画作品の製作に携わっていた。

 彼らは、かねてからニセの街頭募金活動をやったり、商店に飛び込んでアポなしでインタビューを行う様子などを、ユーチューブに投稿していた。いわゆるユーチューバーだったわけだ。

 さて、その卒業制作だが、彼らは「ドブスを守る会」と称して道行く女性たちにインタビューを行い、その容姿について無礼な論評をし、その女性の反応の一部始終をビデオカメラに収めるということをやっていた。当時の新聞から、その様子を描写した記事を引用する。

  〈「写真撮らせてもらえますか?」

 「・・・なんか雑誌ですか?」

 「(撮影が終わり)ありがとうございました。タイトルはドブスを守る会です」

 「・・・写真、消してもらっていいですか? 自分のことブスだと思ってないし、そんなふうに使うんだったら最初から言うべきだと思います」

 「ありがとうございます。やっと、こういった反応が撮れました」〉(「卑劣な『ドブス』動画の中身」夕刊フジ平成二十二年六月十九日付けに掲載)

 被害に遭った女性は、判明しているだけで六人で、そのうち少なくとも二人の女性の動画がユーチューブに投稿されていた。学生らは、この不謹慎な会をつくった動機について、動画の冒頭で「ドブスが絶滅の危機に瀕している。わが国から消えゆくドブスの姿を収めた写真集を作り始めた」と説明していた。

 これに激怒した一部のネットユーザーは学生らの素性をばらしたが、学生らは動画を削除した上でミクシーなど会員制サイトを退会した。そして、個人名や大学名が書き込まれたネット掲示板の管理人には、自分たちの行為を棚にあげて「著しく個人の利益を損なう」などの理由をあげ、削除申請までしていた。

 この行為について、前掲夕刊フジには、学生らの行為が刑法上の名誉毀損罪または侮辱罪に該当し、民事訴訟でも肖像権や人格権侵害などで慰謝料を請求できる、との弁護士のコメントが載っている。

 抗議が殺到した首都大学東京は素早く対応し、「大学としては女性の人権を無視した行為を重くとらえ、全てが明らかになった時点で対応を決めます」との見解を発表した。

  結果はどうなったか。

 六月二十四日、動画の制作に携わった二人の学生には退学処分が言い渡された。処分の理由は、①映像作品を完成するという名の下に、被写体となった方々に対し公然と人権侵害をしたこと②映像を作品として公開することにより、被写体となった方々の精神的苦痛を増大させたこと③首都大学東京の社会的信用を失墜させたこと、の三点であった。

 また、教員に対しても、七月六日、動画制作に携わった学生の指導教員に対しては諭旨解雇が言い渡された。処分の理由は、①平成二十二年六月に、自らのゼミにおいて、先般退学処分とした学生が卒業制作に関連して作成した映像を視聴した際、その内容の不適切さを認識し、当該学生が企図したインターネット上の動画サイトへの投稿については制止の指示をしたものの、製作の継続については容認するかのような発言を行うなど、その教育指導が不十分であった。その結果、本学の社会的信用の著しい失墜など、重大な事態を招いた②今回の不適切な映像についての問題発覚後、上記の経緯と異なる虚偽の報告を行った、の二点であった。   「首都大学ユーチューブ事件」は、藤岡らが被害を受けた今回の事件との細部に至るまでのあまりの類似に一驚する。上智大学はその名誉を問われ、出崎の指導教官で、出崎のインタビューを指導しただけでなく、彼の商業映画の宣伝まで買って出ていた中野晃一は、その責任を問われているのである。

月刊Hanada2019年9月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

第二の「クヒオ大佐」?

  出崎の人物像を知る上で欠かせないのは、ユーチューバーとしての過去である。JETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)の英語の補助教員として来日し、「Racism in Japan 日本に人種差別はありますか?」という動画をつくって高校生に与えた話はすでによく知られているし、出崎自身が映画の冒頭で使っている。

 しかし、日本の国籍を持たず、日本の教員免許を持たない出崎が、このような社会的問題に関わる私見を生徒の前で開陳すること自体、問題である。彼の行動は、JETプログラムの趣旨を汚すものである。

 また、出崎が女装して日本の若い女性の口まねをし、日本人女性を侮辱する動画をつくっていたこともよく知られている。藤岡もこの動画を見たが、最後に卑猥な言葉を絶叫するシーンで終わっていた。

 このことについては、本誌六月号でも山岡鉄秀が書いているので繰り返さない。今出崎は、この動画を著作権を理由に消し回っている。各種SNSでも、リンクが貼られている先を見ると、「この動画はMedama Sensei から著作権の侵害を申し立てられていますので、削除します」などのメッセージが出て視聴がブロックされる。Medama Senseiとは、出崎のユーチューバーとしてのペンネームである。

 自らトニー・マラーノの動画を商業映画に無断で使用して作者の著作権を侵害しておきながら、自分の動画については著作権を主張して削除を求める。とんでもない御都合主義だ。

 ここではさらにもう一つの、別の問題を指摘しておこう。

 映画「主戦場」は四月二十日から渋谷の映画館で一般公開されたのだが、その宣伝のため出崎は各種のメディアに登場した。ラジオでもいくつかの番組に出演した。

 ①四月二十四日、TBSラジオ「荻上チキ Session22」という番組で、出崎は梁澄子(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表)とともにゲストとして出演した。

 ②四月二十五日、JーWAVE のJAM THE WORLD という番組で、ニューススーパーバイザーの堀潤がインタビューした。

 私が聞いたのは右の二つのラジオ放送の録音なのだが、極めて不自然に感じたことがある。出崎が藤岡のところに取材に来た時は、彼はごく普通の日本語を話す青年だった。なぜか、出崎は藤岡に対するメールでは、自分がアメリカ国籍を持つアメリカ人であることを一切述べていなかった。だから、藤岡は彼を普通の日本人だと思い込んでいたのである。

 しかし、①のラジオ番組で彼は日本語が出来ないふりをし、わざわざ通訳をつけて番組を進行させていた。ところが質問者が日本語で質問すると、間髪を入れず英語でいきなりベラベラと話し始める。それを通訳が日本語にする。出崎は完璧なバイリンガルである。だから、日本語が分からないというのは演技なのだ。不自然極まりない。

 ②の番組も通訳付きで始まった。ところが、しばらくすると、質問者が右に書いたのと同じ問題に気付いたらしく、いきなり「出崎さん、あなた、日本語が分かるのでしょう?」と言った。不意を突かれて戸惑う様子が聞こえ、出崎は「ええ、まあ、少しは話せますけど・・・」と、いかにも日本語を習いたてのガイジンがしゃべるようなたどたどしい日本語で答えた。それ以後、番組は日本語で会話が進行した。

 日本社会には、ときどき日本語と英語の狭間を利用した詐欺師が出現する。生粋の日本人でありながらカタコトの日本語を話す米軍の特殊任務を帯びたパイロットに擬装して、日本人の女性を次々にだました「クヒオ大佐」という結婚詐欺師がいた。   出崎は、気に入らない某出版社の取材を断るのに、自分は日本語ができず、通訳の手配がつかないという理由を使っている。こういう調子で、都合よく英語と日本語を使い分ける。こういう部分だけを取り出せば、出崎は第二の「クヒオ大佐」といえるかも知れない。

(続く)

月刊Hanada2019年9月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

●なぜ反日左翼の寵児なのか

  ところで、行動的な学者でもある吉見は、「慰安婦=性奴隷」説をひっさげて、異論を唱える人を狙い撃ちにする名誉毀損訴訟を行ってきた。しかし吉見の提訴は、一審から三審までの全てで敗北した。元朝日新聞記者の植村隆が櫻井よしこと文藝春秋を訴えた訴訟でも、去る二○一八年十一月九日、一審の札幌地裁で櫻井側の完全勝訴の判決が出たばかりである。その他、一連の慰安婦訴訟では、「性奴隷」派は連戦連敗である。

 司法分野だけではない。二○一六年二月、ジュネーブの国連人権理事会で、外務省の担当者は、「強制連行説」も「性奴隷説」も「慰安婦二○万人説」も、いずれも根拠がないとして否定したのである。行政が初めて真っ当なスタンスンに立ち返った瞬間だった。

 その二年前の二○一四年八月には、崩壊した吉田清治の証言の扱いについて頬被りを決め込んできた朝日新聞までもが、ついにその誤りを認め、のちに謝罪するにいたったのである。これはまさに、慰安婦問題で日本を糾弾したい勢力にとって、致命的な打撃となる出来事だった。

 このように、論争に負け続けて気息奄々だった「慰安婦=性奴隷」派にとって、出崎のドキュメンタリー映画の出現は干天の慈雨であり、出崎は彼らの希望の星となった。

 最近、映画「主戦場」に関わる記事を特集した月刊誌『創』八月号では、「メディアが慰安婦問題をタブーにしてきた」などとしきりに述べられているが、この論評は的外れである。メディアが慰安婦問題を取り上げなくなったのは、右に見たように、もし取り上げると朝日新聞の二の舞になりかねないからだ。

  だから、右の展開を体験していない、アメリカ国籍の外国人でもある出崎が反日左翼の寵児となったのである。しかし、映画「主戦場」が実質的に何を成し遂げたのかといえば、善意の保守系の言論人を誑かして血祭りに上げたことである。

 映画「主戦場」のインターネットのサイトには、映画の予告編がアップされているが、そこで前面に押し出されているのは、櫻井よしこを筆頭に、ほとんど専ら保守側の人物である。これらの人々は、出崎の映画の宣伝の出汁にいいだけ使われていることがわかる。

 映画の入場者の多くを占めるであろう左翼・リベラル系の人々や、海外の反日ジャーナリストは、映画の中でにっくき保守系の連中が嘲笑・侮辱されていることに快哉を叫んだ。四月四日、外国特派員協会における試写会に出席した、原告の一人である藤木俊一は、試写会の様子を次のようにレポートしている。

  「このフィルムは、われわれに先にインタビューし、それに対して左翼が反論を行っているので、完全に『一方通行』の内容となっており、各段階で(強制か否か、高給取りだったか否かなど)左翼・朝鮮人たちが、われわれ側の発言を覆した部分で終わっており、その度に会場の白人たちが大歓声を上げるという異様な雰囲気の試写会であった」

 その反面、この映画が何か新しい材料を提供したり、何らかの論点を解明したりしたかといえば、そうした成果は何一つない。

 例えば「慰安婦二○万人説」の検討にしても、吉見は仮定の数字をいろいろこねくり回しているが結論は曖昧のままであり、そこで上げた数字は多数の仮定の積み重ねの上に立って、数万人のオーダーのものであり、その発言の中に二○万人説を正当化するに足るものは何もなかった。

 この点に関連して、ここで重要な論点を提示しておきたい。六月三日の記者会見で、会場から「歴史修正主義者」の定義を聞かれた出崎は、「慰安婦は二○万人で、強制連行され、性奴隷であったというのが世界の通説だ。この通説に反対する者は歴史修正主義者である」と答えた。

 そうすると、「強制連行」の証拠がないと言い、「二○万人説」を映画で言わなかった吉見は「歴史修正主義者」になる。それだけではない。監督の出崎も、映画で「二○万人」という結論を出さなかったのだから、立派な「歴史修正主義者」である。

 その他、映画に登場する多数の左翼活動家も「歴史修正主義者」である。WAM(女たちの戦争と平和資料館)の渡辺美奈などは映画の中で、「大きい数字が出てくると、すぐにそれを言いたくなるが、そうしてはならない」と戒める発言をしている。彼女もまた「歴史修正主義者」である。  出崎がいかに無責任で、物事の論理的帰結に関心を持たない、その場その場でいいかげんなことを言って恥じない、デタラメな人物であるかがよくわかる。

(続く)

月刊Hanada2019年9月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

決着がついた慰安婦論争

  出崎は映画「主戦場」の監督として、今や「慰安婦=性奴隷」派からは、慰安婦問題復活の救世主であるかのようにもてはやされている。ネットでも紙媒体でも、「映画に感動した」「出崎監督は素晴らしい人だ」「この映画を観て、やっと溜飲を下げた」などの熱烈なラブコールがあがっている。ツイッターなどでの称賛の文言があまりにワンパタンなので、多数の人間に指示し組織的に投稿させているという見方も生まれているほどだ。

 ようするに、今や出崎は慰安婦問題の逆転を狙う勢力の期待を一身に集めた、「慰安婦=性奴隷」派の寵児となっているのだ。

 なるほど、出崎に対し、それらの賛辞を浴びせている人々の気持ちも分からないではない。慰安婦問題については、これが日本社会の政治的・社会的問題として提起された一九九一年以来、幾多の論争が積み重ねられてきた。

 その中で早くも一九九二年には、歴史家の秦郁彦が、韓国・済州島の現地調査によって詐話師・吉田清治の「慰安婦奴隷狩り」体験記の嘘を暴いた。また、朝鮮半島現代史の研究者・西岡力は、元慰安婦を自称する韓国人老女へのインタビューなど徹底的な調査によって、元慰安婦の誰一人として軍や官憲による「強制連行」の事実を整合的に証言できた者がいないことを立証した。

 こうして、一九九二年段階ですでに、「慰安婦強制連行説」が虚構であることは、学問的・実証的には結論が出ていたのであった。

 さらに、同時期の日本政府の調査によっても、一九四四年十月のビルマにおける日本軍慰安所と慰安婦に関する米陸軍心理作戦班の作成した公文書によって、「彼女らは軍に付いて歩く売春婦に過ぎない」ことが明らかにされていた。

 さらにさらに、今では「慰安婦=性奴隷説」を唱え続けるほとんど唯一の歴史研究者と言っていい吉見義明だが、一九九六年十一月三十日に放映されたテレビ朝日の番組「朝まで生テレビ!」で、他ならぬその吉見が「朝鮮半島では強制連行の証拠はない」と言い放ったのである。これで、慰安婦論争は事実上、「ジ・エンド」となったのだ。

 「強制連行はなかった」という仮説をもって調査する者は、強制連行の証拠を探すに際してそれほどの熱意を持てないのが人情だが、吉見はその正反対で、相当の執念をもって慰安婦強制連行の証拠を探したはずだ。その吉見ですら見付けることができなかったのだから、他の者については何をかいわんや、強制連行の証拠を発見する見込みはない。

「四つの自由」論の愚劣

  慰安婦強制連行説が頓挫すると、どうしても慰安婦問題をネタに日本を糾弾したい者たちは、二つのコースに分かれることになった。というか、論理的に考えて二つの道しかないのである。一つのコースは、あくまで事実の世界にとどまって、証拠を朝鮮半島の外に探し、証拠らしきものを「製造」することだ。

 実際にこの道をたどったのが、インドネシアを初めとする東南アジアの各地に出かけていった弁護士や活動家の一群である。

 もう一つのコースは、強制連行の話は諦める代わりに、言葉の定義を変えることだ。いわば、事実の世界から逃避して、概念いじりをすることによって自分たちの日本国家糾弾の正当性を維持しようとするものである。この道を行ったのが吉見義明だった。

 彼は、軍慰安婦の境遇が「性奴隷」であったということを強調し、「奴隷」の概念を恣意的に変えてしまおうとする。吉見の提唱する「四つの自由」論は、こういう問題意識から吉見がこしらえ上げたものだった。

 吉見のいう四つの自由とは、居住の自由、外出の自由、接客の自由(=接客拒否の自由)、廃業の自由を指す。吉見によれば、この四つの自由がない者は「奴隷」であると定義される。それゆえ、日本軍の慰安所は「性奴隷制度」であったとする。

 もしそうだとすると、遠洋航海に出る漁師は、吉見の定義によって「奴隷」となる。遠洋航海では何ヶ月も船に乗ったきりだから、居住の自由などあるはずがない。外出の自由も、廃業の自由もない。

 ただし吉見の定義では、四つの自由の全てが失われていなければ奴隷とは言えないのか、それとも一つでも失われていれば奴隷になるのか判然としない。それによって、戦地の軍慰安婦の位置づけがまるで変わってくる。

 もし、四つとも自由が失われていることが条件ならば、軍慰安婦は断じて奴隷ではない。前出の米軍の公文書によれば、ビルマのミートキーナの慰安所にいた慰安婦には、外出の自由も、接客の自由も、廃業の自由もあったからだ。ただし、居住の自由はなかった。戦地だからこそ慰安婦に自由に住居を選ばせたら危険この上もなかっただろう。

 こんなことは、愚にもつかない言葉の遊びに過ぎない。こんな「理論」を大真面目に振り回して、「慰安婦=性奴隷説」を喜ぶ読者にリップ・サービスしているのが吉見義明の実像である。

 吉見は映画「主戦場」のなかで、唯一「歴史家」の肩書きで遇され、出崎は吉見のご託宣を押し抱き、その言葉の一言一句が真理であるかのように扱われているが、その理論の実体は、右のような愚かなシロモノである。

(続く)

月刊Hanada2019年9月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

被害者七名の「共同声明」

  日系二世で、アメリカ国籍を有するノーマン・ミキ・デザキ(Norman Miki Dezaki/日本名・出崎幹根)が、上智大学の大学院生の肩書きをフルに利用した詐欺的な手口で、「慰安婦=性奴隷説」を否定する保守系論者を人格攻撃するドキュメンタリー映画「主戦場」を製作したことを前号で述べた。

 被害者八名のうちの七名は見解を「共同声明」としてまとめ、去る五月三十日、日本記者クラブで開催した記者会見にて公表した。なお、藤岡のもとにデザキは「出崎幹根」という日本名を名乗って現れたので、以下では、原則としてその日本名を用いることにする。

 共同声明のメイン・タイトルは「映画『主戦場』の上映差し止めを求める」で、サブタイトルは「上智大学修士課程卒業制作を擬装し商業映画を制作した出崎幹根の違法行為について」となっている。署名者は、加瀬英明、ケント・ギルバート、櫻井よしこ、藤岡信勝、藤木俊一、トニー・マラーノ、山本優美子である。

 A4判十ページの共同声明の小見出しは、次の通りである。

 (1)商業映画への「出演」は承諾していない

 (2)「大学に提出する学術研究」だから協力した

 (3)合意書の義務を履行せず

 (4)本質はグロテスクなプロパガンダ映画

 (5)ディベートの原則を完全に逸脱

 (6)目的は保守系論者の人格攻撃

 (7)デザキと関係者の責任を問う

 これによって、おおよその内容を覗うことが出来るだろう(共同声明のテキストの全文は、ネット上で読むことが出来る)。

  なお、共同声明に署名しなかった一人は衆議院議員の杉田水脈で、杉田の場合、仮に不本意な映像を撮られたとしても、国会議員として肖像権の主張には一定の制約があることから、他の七名の民間人とは立場が異なるという事情によるものだった。

出崎と配給会社を提訴

 タイトルが示す通り、共同声明の趣旨は、映画「主戦場」の「監督」である出崎(当時は上智大学大学院生)の、真の目的を隠した詐欺的な取材方法と、映画の中で被害者らに対し「歴史修正主義者」などの不当なレッテルを貼るなど、被害者らの人格を侮辱したことを問題としたもの。

 これに対して出崎は、映画の配給会社である合同会社東風(代表社員・木下繁貴)と、弁護士・岩井信とともに、六月三日、東京弁護士会館で記者会見を開き、被害者側の共同声明に反論するとともに、上映差し止め要求に対して明確な拒否回答を行った。

 こうしたことから、被害者側は受けた被害の深刻さに鑑み、六月十九日、東京地裁に民事訴訟を提起する訴状を提出し、その後、地裁内の司法記者クラブにて記者会見を開いた。

 原告は共同声明に署名した七名のうち、ケント・ギルバート、トニー・マラーノ、藤岡信勝、藤木俊一、山本優美子の五名で、櫻井よしこ、加瀬英明は諸般の事情で原告には加わらなかった。被告はノーマン・ミキ・デザキ(出崎幹根)と合同会社東風で、請求は、

 ①ドキュメンタリー映画「主戦場」を上映してはならない

 ②被告らは連帯して、原告ケント・ギルバートと同トニー・マラーノに対して、それぞれ五○○万円を支払え

 ③被告らは連帯して、原告藤岡信勝、同藤木俊一、同山本優美子に対して、それぞれ一○○万円を支払え

 ④訴訟費用は被告らの負担とする

 ⑤右の①から④につき仮執行宣言を求める

というものである。

  請求原因の理由は、(1)被告が原告トニー・マラーノのYouTube動画を本件映画において無断で使用したことは、原告マラーノ、同藤木(藤木はマラーノの動画を日本向けに編集する「テキサス親父日本事務局」の事務局長で、マラーノの動画の共同著作権保持者)の著作権を侵害する不法行為であること(2)原告らは意図に反して本件映画に「出演」させられているが、そのことによって原告らにも著作権が生じ、原告らは被告の学術研究及び卒業制作のためにインタビューを受けることに合意していたにもかかわらず、被告が原告らに無断で不特定多数に商業的に公開する映画に使用したことは、承諾書・合意書で定めた義務に反する違法行為であり、かつ、原告らの著作権、肖像権、同一性保持権を侵害する不法行為でもあることなどである。

(続く)

月刊Hanada 2019年8月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

「指導教官」中野晃一の責任

 そのなかで中野は、なんと映画「主戦場」の宣伝を買って出て紹介し、「実はこれ、私の教え子つくった映画でありまして」と、みずから出崎の指導教官であることを名乗り出たのである。しかも、その講演のなかで中野は、驚くべきことを述べていた。言葉どおりに文字起こしした発言を引用する。(傍線は引用者)

 《ちょっとひとつ宣伝をさせてください。お手持ちのチラシの中に、この映画のチラシが入っていると思うんですが、よくご覧いただくと私も│[出演者の写真で]櫻井よしこの上、杉田水脈の隣という非常に微妙な位置に顔があるんですけれども│この映画に関わっておりまして、出てるだけではなくて、実はこれ私の教え子がつくった映画でありまして、修士の院生だったんですね。オリジナルカットのものが修士論文に代わる学位を取るための制作物で、ちょっと変わってるんですね》

 《その後、さらに編集やったり音楽入れたりとかですね、いろいろこれ本当に手弁当で、クラウドファンディングで少しお金集めただけで、本当に低予算で手作りなんです。もともとユーチューバーで、ビデオをつくって動画を載せたりした経験はあるんですけれども、そんな彼がですね、つくりました》

 中野は、「オリジナルカットのものが修士論文に代わる学位を取るための制作物」(A)であるとし、「その後、さらに編集やったり音楽入れたり」してつくった映画(B)とをキチンと分けて説明している。「合意書」で藤岡らが許可したのは(A)についてであって、それを(B)に転用することは、すでに見たように「合意書」8項で明確に禁止しているのである。それは、契約違反・不履行に当たる違法行為であり、かつ、映像・音声の無断使用という著作権・肖像権・人格同一権を侵害する不法行為でもある。出崎のみならず、それを幇助した「指導教官」中野の責任も免れがたい。

 中野は出崎が、ユーチューバーとして、女装して日本人女性を侮辱する動画をつくったりした過去を知っている。それでいて、その「教え子」の違法につくられた映画を宣伝までしてやっているのである。この師にしてこの弟子ありと言われても仕方がない。

大学の規則にも違反

 上智大学の規則を調べて見ると、「上智大学『人を対象とする研究』に関するガイドライン」というものが制定されている。ここで「人を対象とする研究」とは、今回の出崎の「卒業制作」のように、人に対してインタビューを行い、それをデータとしてまとめる研究などのことである。

 藤岡らは、出崎の研究の研究対象者であり、研究協力者でもある。そして、研究の公表に当たっては、研究対象者の人権が守られなければならないとしてきびしい審査が課せられており、この審査をパスしなければ研究に着手することが出来ない仕組みになっている。大学としては、研究倫理について大変しっかりした基準を設けているのである。

 ところが出崎の研究については、この審査を受けた形跡がない。毎年審査結果として、審査に合格した者のリストがネットにも公表されているのだが、該当する年度とその前後の年度を調べても、出崎の研究を合格したリストの中に発見することはできなかった。

 右の「ガイドライン」には、事前審査を受けなければならない研究かどうかを自ら確認するための二十四項目のチェックシートが付いている。その一番目には、「研究対象者が何らかの身体的または精神的な負担、不快、苦痛あるいは危険性を伴う可能性がある」という項目が据えられており、出崎の研究は、まさにこの可能性があるものだった。

 現に、藤岡らは名誉まで毀損され、耐えがたい苦痛を感じるほどになっている。各項目には〈yes no〉の選択肢が置かれ、二十四の項目のうち、ひとつでもyesがあれば審査を受けなければならないことになっている。出崎の研究は、一つどころか沢山の項目が当てはまるものである。  今後、藤岡らは、出崎と配給会社東風に対し司法的手段に訴えるとともに、出崎と中野の研究倫理違反の恐れのある行為に関して、上智大学に常設されている告発窓口に被害者として問題を提起する予定である。

(参考)中野晃一教授が出崎監督の指導教官であることを語っているシーン

月刊Hanada 2019年8月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

 第二に、出崎は「卒業制作」として大学に提出した映像を、商業目的で配給する映画に転用したが、これは「他の映画等の作成に使用することがないこと」という「合意書」8項の禁止条項に明確に違反する。多くの人は錯覚しているかもしれないが、商業的に公開されている映画「主戦場」は、私たちが合意した「卒業制作」とは別のものである。

使用禁止条項を蹂躙

 まず、タイトルからして違う。合意書には、「歴史問題の国際化に関するドキュメンタリー映画」とわざわざ下線まで施して書かれている。この映画に登場することを藤岡らは承諾したが、商業映画「主戦場」に出演するつもりはなかった。

 両者は制作主体からして違う。卒業制作は、もちろん制作主体は出崎だが、映画「主戦場」の著作権は、劇場で七百円で売っている公式プログラム(28ページ建ての冊子)には、「C(○で囲む)NO MAN PRODUCTIONS  LLC」と書いてある。LLCは、日本語で言えば有限(合同)会社である。

 つまり、映画「主戦場」は、「ノーマン・プロダクションズ」という会社が制作し、同社が著作権を有しているのである。この会社の作品に藤岡たちの映像を使うためには、藤岡たちはノーマン・プロダクションズ社と契約を結んでいなければならないが、そんな契約はどこにもない。結局、出崎は「合意書」の禁止条項を蹂躙して、卒業制作とは異なる「他の映画」の作成に無断転用したのである。

 一体全体、大学に提出した制作物を、研究対象者・研究協力者に無断で商業利用するなどということがあり得るのだろうか。こんなことを認めているらしい上智大学とはいかなる大学か。「指導教官」は誰で、何をしていたのか。こんな疑問がすぐに浮かぶ。

 そこで、今回被害者となった藤岡、藤木、山本の三名(順序は五十音順)は四月二十七日付けで、インタビューに訪れた三人の大学院生の在学期間や、指導教官は誰か、などを問い合わせた。これに対して、五月九日に上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科の委員長(David Wank)から回答があった。大学院生本人の許可がなければ教えられないという返答であった。その後、指導教官の氏名だけは、全く別のルートから判明した。ご本人が公の場で名乗ったからだ。  四月十九日、参議院の議員会館一階講堂で、「戦争をさせない一○○○人委員会」と「立憲フォーラム」という団体の主催で、「安倍政治を終わらせよう! 4・19院内集会」という会合が開かれた。この集会で上智大学教授の中野晃一は、「政治を変える! プログレッシブ連合へ」と題して講演をおこなった。この模様はYouTubeでネットに流されたので、誰もが見ることができる。

(続く)

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