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2019年4月8日(9月14日改題)
テキサス親父日本事務局
藤木 俊一

4.加瀬英明氏への批判と諸団体への批判: 

 「様々な慰安婦関連の歴史修正主義者たち側の団体を調べると、ほとんどの団体の代表が加瀬英明氏である」とのナレーションがあり、(これは事実に反している=捏造)であり、その後に加瀬英明氏にインタビューをしているシーンがあり、その内容は「吉見義明氏の本は読んだことがありますか?」というもので、加瀬氏は「誰それ?」と返答。加瀬史が、吉見氏を知らないはずがないが、デザキ氏の的外れな質問に、意図的に「誰それ?」と返したのは、我々側の人間であれば、明らかである。

 「秦郁彦氏の本は?」とも聞かれ、「私は他人が書いた本は読まないから知らない」 と返答し、会場の白人、約10人ほどが、軽蔑したように大声で笑っていた。

 この結果、完全に加瀬英明氏が「ピエロ」に仕立て上げられており、その人が代表を務める多くの団体の信用を一気に崩すという手法が使われていた。誠に狡猾である。


5.虚偽による団体への攻撃: 

 日本会議、神社本庁、靖國神社などに対する根も葉もない攻撃、安倍首相批判などは、完全に従来の日本の左翼や、支那、朝鮮の主張と同様で、慰安婦問題に無関係な沖縄の基地問題、日本の軍備に関する内容にまで及び、日本叩きを展開。日本会議は、「明治憲法に戻そうとしている」など、根も葉もない事をデザキ氏本人が、ナレーションで語っている。日本会議に照会したが、その様なことはあり得ないとの事。

 さらに、日本の首相の靖國参拝に関し、「靖國神社は宗教法人であり、アーリントン墓地は国立であることから、米国大統領が国立アーリントン墓地に行くのとは異なる」との解説が入っていた。

6.目良氏への個人攻撃: 

 目良浩一氏のサンフランシスコ市議会での発言の後の1人の市議の

「Shame on You!」の連続を殊更に強調し、一方的な印象操作を行っていた。この場面でも、記者会見会場の白人の10名ほどが、目良氏に対して文句を言い、嘲笑する態度をとっていた。

7.自分に対する攻撃へのリベンジ:

 デザキ氏は、6年ほど前に当時、少々、ネット上で炎上した「Racism in Japan (日本には人種差別がありますか?)」という動画をYouTubeに投稿していた。デザキ氏は、なぜ、自分が当時、強い非難に晒されたのかをいまだに理解出来ていないようである。

 この動画は、今回の「主戦場」同様に、デザキ氏の日本に関する無知から来た炎上だったのだが、本人は、自分の無知を反省するではなく、その動画を非難していた日本人を総じて「右翼」や「歴史修正主義者」と決めつけたのだ。

 当時、デザキ氏は糸満高校でALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー=英語の補助教員)をしており、一部のネットユーザーが、この職場へ抗議の電話等を行ったとデザキ氏は言っていた。

 このデザキ氏への抗議に対する「復讐」のために作られたのが、この「主戦場」であることは容易に想像できる。

 デザキ氏は、自らを「慰安婦の嘘」をいくつもの記事にした元朝日新聞の植村隆記者とダブらせていたのだ。植村元記者の就職先である北海道の北星学園大学へ、この植村元記者の過去の数々の記事で「日本人の名誉が世界的に傷付けられた」と考えた日本国民が抗議し、結果として解雇された境遇と重ね合わせ、自分も「歴史修正主義者」や「右翼」の「被害者」であるという意識が芽生えてきたようである。

 デザキ氏は、自らが製作した「デザキ氏の無知から来る日本観」、「米国で受けた米国の歴史観」を裏取りもせずに薄弱な知識で作ったYouTubeの動画に対する反省など一切ないどころか、被害者になりすます時点で、慰安婦マフィアたちと同じメンタリティであり、当初から、このフィルムでリベンジ(復讐)を行おうとしていたことが読み取れた。

8.会場に詰めかけた反日白人達のリアクション: 

 このフィルムは、藤岡信勝氏、杉田水脈氏、ケント・ギルバート氏、トニー・マラーノ氏、櫻井よしこ氏、加瀬英明氏、山本優美子氏、そして私に、先にインタビューをし、それに対して左翼が反論を行っているので、完全に「一方通行」の内容となっており、各場面で(強制か否か、高給取りだったか否かなど)左翼・朝鮮人たちが、我々側の発言を証拠も無しに覆した部分で終わっており、その度に、会場の白人たちが大歓声を上げるという異様な雰囲気の試写会であった。

 例えば、「高給取りであった」と、我々サイドの発言があった後に、ミヤンマーでの当時の「インフレ率」を持ち出して、「実際の価値は、額面の1800分の1の価値しかなかったのでリビジョニストがいう事は嘘である」という部分で切られている。そうすると、会場の白人からは歓声と拍手が湧くという具合であった。

 しかし、ミヤンマーのインフレ率に関する一次資料などは、一切、示されていない。まさに慰安婦たちの「証拠がない証言」を鵜呑みにする人たちらしい思考回路である。たとえ、そのインフレが事実であったとしても、慰安婦たちは、円貨の「軍票」にて支払われており、それを預金通帳に入れる事もできていたのは、当時の様々な証拠をみれば明らかであり、日本や朝鮮半島に送金するに当たっては、ミヤンマーのインフレなど一切関係ない。デザキ氏は、我々のこのような反論をする機会を意図的に作らなかったのである。  さらに、当時の慰安婦の女性が、「本人名義で通帳を作れていた」という事自体、当時の西洋諸国では考えられない程に、日本の女性の権利が守られていた事に関しては、言及していない。インタビュー時には、この件も、私は話をしたが、その様な場面は全く使われていない。世界の多くの国々では、1960年代、70年代まで女性が銀行口座などを作る場合は、配偶者の許可が必要であったことなど、この無知のデザキ氏には想像も出来なかったのであろう。

2019年4月8日(9月14日改題)
テキサス親父日本事務局
藤木 俊一

 4月4日に外国人特派員協会 (FCCJ)にて行われた慰安婦問題のドキュメンタリー「主戦場」(上映時間2時間2分)の試写会&記者会見に、 私、藤木俊一は、高橋史朗麗澤大学教授らと共に参加した。

 会場には約100名ほどの報道陣、その他の参加者が来ており、その半数を少し越えた位が、白人で、残りが日本人という参加者の構成であった。

 この1週間ほど前に、私とケント・ギルバート氏が食事をした際に、 ケント氏が試写会を見て来たとの事で、その感想を「とにかく酷い」 「見るに値しない」などの感想を漏らしていた。

・このフィルム制作の手法

 私の見た感想は、米国のいわゆるフェイクニュースの代表であるCNNなどと同じ手法でこのドキュメンタリーが作られているということ。切り取りと歪曲、捏造だらけである。インタビューの一部のみを切り出し、そこを徹底的に反証させるというやり方である。それに、慰安婦問題の核の論争に触っているようで、実際には結論を有耶無耶にして、我々に単に「レッテル貼り」をして貶めるという古典的な手法であった。

 例えば、テキサス親父(トニー・マラーノ氏)がインタビューを受けた際に「米国の公文書に、慰安婦たちは日本人の基準でも、白人の基準でも魅力的ではなかった(=不細工という意味」と書いてあったので、米国・グレンデール市の慰安婦像に紙袋を被せた。これは、俺が言ったことではなく、米国の公文書に書いてある事であり、文句があるなら俺ではなく、米国政府に言ってくれ」 と発言した中の「慰安婦は不細工だったので紙袋を被せた」とのみフィルムの中では表現していた。完全に切り取り、捏造である。さらには、テキサス親父がYouTubeに投稿していた慰安婦問題関連の動画2本を許可無く「商業映画」の中で使っている。これは、明らかな著作権侵害である。

 私との2016年9月のやり取りでは、「フィルムが完成したら公開前に私に見せ、意図と違う使い方をされている場合は、フィルムの最後のクレジット部分に、私が主張すること全てを掲載する」と約している。しかし、その2年後の2018年9月に突然、「残念ですが、内容のリークの可能性および著作権の関係で見せられない」とのメールが送られてきた。

 他人の著作権は簡単に犯すが、自分の著作権は守るというデザキ氏の異常な姿勢が見て取れる。


 このフィルムには、最初から最後まで、この手法が使われており、我々側から反論がされないように我々のインタビューの順番を意図的に先に持ってきている。

 フィルムの初めの段階で、藤岡信勝氏、杉田水脈氏、ケント・ギルバート氏、私、そして、トニー・マラーノ氏の写真をならべ、その上に「リビジョニスト(歴史修正主義者)」、「ディナイアリスト(否定主義者)」と、ちょうど米国などにある「WANTED」という指名手配写真のようにレッテル貼りがなされていた。

 その後にも、「ライト・ウインガー(右翼)」、「コンフォート・ウーマン・ディナイアー(慰安婦否定者)」、「セクシスト(性差別主義者)」などとの一方的なレッテル貼りがフィルムのあちこちで行われており、「学術的な倫理が要求されるので公平に扱う」と我々全員に説明していたデザキ氏は、「学術研究」を語り、明らかな虚偽の説明をしたことになる。

<監督デザキの記者会見での発言から分かった事>

 全編の上映の後に制作者のデザキ・ミキネ氏の記者会見があり、ドキュメンタリーそのものからと、デザキ氏自身の記者会見での発言から、次の事が確認できた。

1.スタッフの国籍:

 アシスタント・プロデューサーが韓国人である。(デザキ本人の記者会見での発言)

2.インタビューの順序: 

 「慰安婦は高給取りの売春婦であった」とする我々側のインタビューを先に行い、「慰安婦は性奴隷であった」とする日本の左翼や朝鮮人に見せた上で、それに関して、一方的に反論させるという、全く卑怯な手法を使っていたることがわかった。左翼や朝鮮人側のみに一方的に反論の機会を与え、我々には一切の反論の機会を与えずに、我々の発言を切り取って、意図的に悪用したものに過ぎない。

3.登場人物の比率: 

 登場する「学者の数」であるが、左翼・朝鮮人側は、吉見義明氏、小林節氏、その他の学者へのインタビューがあったが、こちら側は、藤岡信勝氏のみであった。西岡力氏、秦郁彦氏など、慰安婦問題が起きた1990年初頭から調査を行って来ている学者のインタビューは、藤岡氏を除き一切なかった。  また、全体の出演者の数も、我々側が8人に対し、左翼・朝鮮人側が18人と、一方的であり、完全にバランスを欠いている。(この場合、朴裕河氏は中立と見る)

新しい歴史教科書をつくる会会報誌『史』135号(令和元年7月号)

山本 優美子(なでしこアクション代表)

映画監督は中野晃一教授の教え子

私も他の保守系の出演者も、公正で中立で学術的で偏向してないはずの上智大学院生の卒業プロジェクトに協力したのです。この映画はそうした私たちの好意を裏切るもので、学生が大学の名前を利用してこのような道義に反することをすべきではありません。出崎氏らは上智大学の信用を落とす行為をしたことを自覚しているのでしょうか。

出崎氏は中野晃一教授の教え子でした。映画にも出演している中野教授は映画公開の直前、「安倍内閣打倒」を掲げた集会で映画を宣伝しています。講演では、保守系の出演者を右翼、歴史修正主義者と呼び「なかなかこの顔見てるのは苦痛だなっている人たちが出てくるんですけれども、いかに荒唐無稽で馬鹿げたことを言っているのか」と語っています。たとえ思想が違っても、自分の教え子の学究のために取材に応じてくれた人たちに対して非常識、失礼な発言ではないでしょうか。

反撃はこれから

この映画は日本語版に加えて、韓国語版、英語版もあり、海外でも上映予定されています。私たちはこれからしっかりと抗議、反論していかなくてはなりません。

様々なメディアがこの映画について報じています。中には私たち「映画『主戦場』に抗議する出演者グループ」に批判的な報道もありますが、私たちはブレることなく毅然と行動してまいります。

新しい歴史教科書をつくる会会報誌『史』135号(令和元年7月号)

山本 優美子(なでしこアクション代表)

去る5月30日、日本プレスセンター会議室にて「映画『主戦場』に抗議する出演者グループ」(加瀬英明、ケント・ギルバート、櫻井よしこ、藤岡信勝、藤木俊一、トニー・マラーノ、山本優美子)の共同声明「映画『主戦場』の上映差し止めを求める-上智大学修士課程卒業制作を擬装し商業映画を制作した出崎幹根の違法行為について-」の発表記者会見を行いました。メディア関係者およそ50名が参加し、立ち見が出るほど。各メディアからは質問が続出しました。

取材を受けた経緯

記者会見から三年前に遡る2016年5月、私は「件名:上智⼤学院の出崎幹根のドキュメンタリーインタビューご協⼒のお願い」というメールを受信しました。メールは丁寧な日本語で、こう書いてありました。

「私は日系アメリカ人で、現在上智大学で大学院生をしております。

慰安婦問題をリサーチするにつれ、欧米のリベラルなメディアで読む情報よりも、問題は複雑であるということが分かりました。慰安婦の強制に関する証拠が欠落していることや、慰安婦の状況が一部の活動家や専門家が主張するほど悪くはなかったことを知りました。私は欧米メディアの情報を信じていたと認めざるを得ませんが、現在は、疑問を抱いています。

大学院生として、私には、インタビューさせて頂く方々を、尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務があります。これは学術研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません。公正性かつ中立性を守りながら、今回のドキュメンタリーを作成し、卒業プロジェクトとして大学に提出する予定です。」

私は卒業プロジェクトに協力することにし、同年6月に東京四谷の上智大学の一室で出崎氏と仲間の大学院生二人から取材を受けました。

その後、卒業プロジェクトが完成したという連絡はなく、私は取材のことも忘れていました。

卒業プロジェクトのはずが釜山国際映画祭に

それから二年以上たった2018年9月に突然、出崎氏から監督した映画『主戦場』が「10月7日に釜山国際映画祭において公開」というメールが届きました。そして今年2月には「4月20日(土)から東京・渋⾕を⽪切りに、全国で順次公開していきます」というメールが届きました。

映画を見ましたが、「学術研究」、「尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務」、「公正性かつ中立性」からかけ離れていることに驚きました。

映画は冒頭で慰安婦の強制連行と性奴隷説を否定する私や保守系の人たちを画面いっぱい大きな文字で「右翼」、「ナショナリスト」、「歴史修正主義者」、「歴史否定主義者」とレッテルを張って進行します。映画の終盤では私たちを「人種差別主義者、性差別主義者、ファシスト」と強く印象付けます。そして最後には慰安婦問題からかけ離れて日本の保守による陰謀論に脱線し、日本の再軍備化の問題にすり替わり、最後のナレーションで出崎氏はこう語ります。

「日本にとっての再軍備は、米国が始めた戦争で戦うことを意味する。だから、自らに問うてほしい。本当に私の国の戦争で戦いたいのかと。」

この映画は、安倍政権や日本の保守を叩きたい人たちの妄想プロパガンダ映画です。保守が嫌いな一部の人にとっては面白いかもしれませんが、とても学術的ドキュメンタリー映画と言えるものではありません。

「ニューズウィーク日本版」七月九日号(七月二日発売)

藤岡信勝(教育研究者)

★8月29日、ケント・ギルバート他5名が、代理人弁護士を通して、上智大学に「通告書」を内容証明郵便で送りました。6月21日、研究上の不正行為を告発する窓口として指定されていた大学の監査室に被害を申し出たにも関わらず、一切無視されてきたので、やむを得ず取った手段でした。
すると上智大学は一転して対応を変え、9月4日、学長名で「調査委員会」を設置したので、学内手続きの必要から委員について異議があれば7日以内に異議申立書を提出せよと求めてきました。わずか1週間の猶予しかありませんでしたが、期限の11日、上智大学研究推進センターに出頭し、事務の担当者にA4・6ページの文書を手交して来ました。調査委員会なるものの実態については、いずれ書くことになるでしょう。(9月12日、藤岡信勝記)


大学院生の卒業制作を名乗り「合意書」にも違反ー議論を呼ぶ慰安婦映画の「出演者」がデザキ監督に反論

本誌「ニューズウィーク日本版」の19年6月25日号に「『主戦場』の新たなる戦場」というタイトルの記事が掲載された。筆者は朴順梨(以下、人名は全て敬称略)で、今後はこの記事を「朴レポート」と呼ぶことにする。
私・藤岡は、自分の意思に反してこのドキュメンタリー映画に「出演」させられている者の一人だが、藤岡のインタビューが入場料1800円で一般の劇場で上映される商業的目的の映画に使われるとは夢にも思わなかった。寝耳に水である。
慰安婦問題の最も大きな論点は、慰安婦は単なる売春婦であったのかそれとも性奴隷だったのかという問題だ。映画は「慰安婦=性奴隷」説に立ち、この説に反対する人物に「歴史修正主義者」などのレッテルを貼っている。
そこで、映画の中でこの種の不当な扱いを受けた櫻井よしこ、ケント・ギルバート、加瀬英明、トニー・マラーノ、藤木俊一、山本優美子、藤岡信勝の7名は連名で共同声明を発表し、5月30日に抗議の記者会見を開いた。
それに対しこの映画の監督ミキ・デザキは私たちの記者会見の同日、同時刻に合わせてYouTubeに反論の動画を流し、さらに6月3日には配給会社「東風」の役員や弁護士と共に対抗する記者会見を開いた。朴レポートはデザキサイドに立って書かれたものである。
本稿では当事者の一人として、この記事に反映されたデザキの主張に対し、2つの論点に絞って反論したい。他の論点については、紙幅の都合で別の機会に譲る。

●「卒業制作」の触れ込みで
第一の論点は、インタビューが何を目的にしてなされたかという問題である。デザキは藤岡あての最初のメールで、上智大学の大学院生を名乗り、インタビューの目的を次のように書いてきた。
「卒業制作として、他の学生と共にビデオドキュメンタリーを製作しておりまして、ドキュメンタリーは『歴史認識の国際化』をテーマとしています。ご承知の通り、現在、慰安婦問題には多くの国々が関わっています。問題に関わっている方々やその活動について学ぶと共に、権威でいらっしゃる藤岡先生のような方からもご見解をお聞かせ願いたく存じております」
歯の浮くようなお世辞はともかく、かつて大学教員のはしくれであった藤岡も学生を指導していた時には、外部の方々にいろいろお世話になった。だから、大学院生の卒業研究のためなら協力しなければならないと思ったのだ。
山本優美子に対するメールは、もっと詳細にその目的を述べていた。「これは学術研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません」「公正性かつ中立性を守りながら、今回のドキュメンタリーを作成し、卒業プロジェクトとして大学に提出する予定です」
このように、私たちは例外なく、「学術研究」「卒業制作」「卒業プロジェクト」であると説明されて、その前提で協力し、文書にサインしたのである。「出来がよければ、映画祭への出品や一般公開も考えている」と伝えたとデザキは言うが、藤岡は一切聞いていない。
ところが、朴レポートでデザキは、承諾書・合意書には「学術プロジェクトとは一切書かれていない」とシラを切っている。アプローチの段階では、商業映画であることを隠蔽し、映画を公開するときは、それが大学院の卒業制作であることをあくまで隠す。これはデザキの企画が初めから巧妙に仕組まれたものだったことを疑問の余地なく示している。
第二の論点は、デザキの行為が合意書に明白に違反しているという問題である。
藤岡はデザキの研究的な誠実さを一貫して疑わなかったが、一度だけ不審の念を抱いた瞬間があった。それは、インタビューのあとデザキが契約書にサインを求めた時だった。〈大学院修士課程修了に必要な卒業制作であると言っておきながら、人に契約させるとは何事だ〉と藤岡は腹の中で思った。
それで、「そういう契約書にサインすることは趣味に合わない」と言って文書を見ることもせずにサインを拒否し、学生たちを追い返した。藤岡らを騙し商業映画をつくろうと企んでいたデザキは困ったのだろう。指導教官から「承諾書への藤岡のサインなしには卒業制作を続けてはならない」といわれた、修士を期限までに修了できない、と泣き落とし作戦に出た。

それでも藤岡が無視すると、今度は、デザキが藤木俊一と交わした「合意書」を送ってきて、これで何とかサインしてほしいと懇願した。読んで見ると、藤木が全面的に書き換えた「合意書」は、取材される側の権利も書かれていて、よく出来ている。それで藤岡は妥協して、合意書にサインしたのである(詳細は「月刊Hanada」8月号の拙論を参照)。

●明白な「合意書」の違反
デザキによる合意書の違反は、2点ある。順番に説明しよう。
①5項違反
合意書5項には次の規定がある。「甲[デザキ]は、本映画公開前に乙[藤岡]に確認を求め、乙は、速やかに確認する。」
本映画とはデザキの「卒業制作」を指す。それ以外の話は全く出ていなかったのだから、これ以外の解釈はあり得ない。ここで「公開」とは、作品が修士課程の修了を認めるに足る水準の内容であるかどうかをコースの教授陣が審査するために上映することである。紙の論文なら「提出」のみでよいが、ビデオ作品だから上映して「公開」しなければ内容を評価することは出来ない。「公開」には、学内で学生を対象に上映することも含まれる。その公開の「前に」映画を見せる、というのが5項の規定の意味である。
ところが、18年5月21日にデザキから送られてきたのは「映画」ではなく、「映画の中で使用する[藤岡の映像の]クリップ」だった。それでも、藤岡はクリップを見て感想を言うつもりだったが、多忙に紛れて期限の2週間が経ってしまった。その時藤岡は、どうせ映画が送られて来るのだから、その時に自分の映像も見ることができる、と軽く考えていた。
しかし、その後デザキは映画の映像を送ってこなかった。ただ、藤岡はデザキを疑っていなかったから、特に請求して送信を急がせることもせず、そのうちこのことは忘れてしまっていた。もしこの時、映画を見ていたら、「歴史修正主義者」などのレッテル貼りを絶対に見逃したはずがない。当方から請求しなかったからといって、5項の「不作為」がゆるされるものではない。
②8項違反
合意書の8項には、「甲[デザキ]は、撮影・収録した映像・写真・音声を、撮影時の文脈から離れて不当に使用したり、他の映画等の作成に使用することがないことに同意する」と書かれていた。藤岡は、デザキの「卒業制作」には協力したが、商業映画に使用してよいという許可を与えたことは一切ない。藤岡の許可なく、無断で、勝手に藤岡のインタビュー映像等を自分の商業映画に使ったデザキは、「他の映画等の作成に使用することがないことに同意する」という合意書の禁止規定に明白に違反している。これでデザキはアウトなのだ。

月刊Hanada2019年9月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

不誠実な上智大学

  上智大学には「学術研究倫理ガイドライン」(平成二十二年制定)がある。その前文では、「イエズス会の設立による本学は、カトリシズムの精神に基づき、学術の中心として真理を探究し、文化の発展と人類の福祉に寄与する研究活動を行ってきた」と宣言し、「研究活動には高い倫理性が求められている」としている。

 対象となる「研究者」には、研究活動に従事する限りにおいて学生も含まれる(2項)。また、「研究を指導する立場にある者は、不正行為が行われないよう、指揮下にある研究活動及び研究者等の管理、配慮を行う」(4項)としている。

 「上智大学における研究活動上の不正行為の防止に関するガイドライン」(平成二十八年制定)では、告発窓口に関する規定があり、「研究活動上の不正行為に関する告発は、監査室で受け付けるものとする」となっている。

 そこで、藤岡は山本優美子の協力のもとに、六月二十一日、告発窓口の置かれた監査室に電話をし、担当者の男性に約三十分にわたって事情を説明した。当方の希望は、学長または研究倫理担当の副学長に面会し、事情を訴える機会を得るためのアポを取ることだった。それは、大学が正確な事情を知って主体的に問題を処理することを期待しての行動だった。

 しかし、担当者は、「不在で連絡がとれない」→「連絡がついたが、検討中で返事ができない」→「面会希望の件を取り上げるかどうかも含めて検討中である」→「いつまでに回答出来るか約束はできない」といった調子で何日も費やし、大学トップの誠意ある態度がうかがわれなかった。この上は、別の方法で大学としての責任を問うしかない。

いかなる責任を取るのか

  ここで、大学がこの種の出来事についていかなる責任を取るべきかについて考えるために、「首都大学ユーチューブ事件」を取り上げてみよう。

 平成二十二年(二○一○年)六月、首都大学東京システムデザイン学部インダストリアルアートコースに所属する四年生の二人の男子学生は、卒業制作として動画作品の製作に携わっていた。

 彼らは、かねてからニセの街頭募金活動をやったり、商店に飛び込んでアポなしでインタビューを行う様子などを、ユーチューブに投稿していた。いわゆるユーチューバーだったわけだ。

 さて、その卒業制作だが、彼らは「ドブスを守る会」と称して道行く女性たちにインタビューを行い、その容姿について無礼な論評をし、その女性の反応の一部始終をビデオカメラに収めるということをやっていた。当時の新聞から、その様子を描写した記事を引用する。

  〈「写真撮らせてもらえますか?」

 「・・・なんか雑誌ですか?」

 「(撮影が終わり)ありがとうございました。タイトルはドブスを守る会です」

 「・・・写真、消してもらっていいですか? 自分のことブスだと思ってないし、そんなふうに使うんだったら最初から言うべきだと思います」

 「ありがとうございます。やっと、こういった反応が撮れました」〉(「卑劣な『ドブス』動画の中身」夕刊フジ平成二十二年六月十九日付けに掲載)

 被害に遭った女性は、判明しているだけで六人で、そのうち少なくとも二人の女性の動画がユーチューブに投稿されていた。学生らは、この不謹慎な会をつくった動機について、動画の冒頭で「ドブスが絶滅の危機に瀕している。わが国から消えゆくドブスの姿を収めた写真集を作り始めた」と説明していた。

 これに激怒した一部のネットユーザーは学生らの素性をばらしたが、学生らは動画を削除した上でミクシーなど会員制サイトを退会した。そして、個人名や大学名が書き込まれたネット掲示板の管理人には、自分たちの行為を棚にあげて「著しく個人の利益を損なう」などの理由をあげ、削除申請までしていた。

 この行為について、前掲夕刊フジには、学生らの行為が刑法上の名誉毀損罪または侮辱罪に該当し、民事訴訟でも肖像権や人格権侵害などで慰謝料を請求できる、との弁護士のコメントが載っている。

 抗議が殺到した首都大学東京は素早く対応し、「大学としては女性の人権を無視した行為を重くとらえ、全てが明らかになった時点で対応を決めます」との見解を発表した。

  結果はどうなったか。

 六月二十四日、動画の制作に携わった二人の学生には退学処分が言い渡された。処分の理由は、①映像作品を完成するという名の下に、被写体となった方々に対し公然と人権侵害をしたこと②映像を作品として公開することにより、被写体となった方々の精神的苦痛を増大させたこと③首都大学東京の社会的信用を失墜させたこと、の三点であった。

 また、教員に対しても、七月六日、動画制作に携わった学生の指導教員に対しては諭旨解雇が言い渡された。処分の理由は、①平成二十二年六月に、自らのゼミにおいて、先般退学処分とした学生が卒業制作に関連して作成した映像を視聴した際、その内容の不適切さを認識し、当該学生が企図したインターネット上の動画サイトへの投稿については制止の指示をしたものの、製作の継続については容認するかのような発言を行うなど、その教育指導が不十分であった。その結果、本学の社会的信用の著しい失墜など、重大な事態を招いた②今回の不適切な映像についての問題発覚後、上記の経緯と異なる虚偽の報告を行った、の二点であった。   「首都大学ユーチューブ事件」は、藤岡らが被害を受けた今回の事件との細部に至るまでのあまりの類似に一驚する。上智大学はその名誉を問われ、出崎の指導教官で、出崎のインタビューを指導しただけでなく、彼の商業映画の宣伝まで買って出ていた中野晃一は、その責任を問われているのである。

月刊Hanada2019年9月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

第二の「クヒオ大佐」?

  出崎の人物像を知る上で欠かせないのは、ユーチューバーとしての過去である。JETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)の英語の補助教員として来日し、「Racism in Japan 日本に人種差別はありますか?」という動画をつくって高校生に与えた話はすでによく知られているし、出崎自身が映画の冒頭で使っている。

 しかし、日本の国籍を持たず、日本の教員免許を持たない出崎が、このような社会的問題に関わる私見を生徒の前で開陳すること自体、問題である。彼の行動は、JETプログラムの趣旨を汚すものである。

 また、出崎が女装して日本の若い女性の口まねをし、日本人女性を侮辱する動画をつくっていたこともよく知られている。藤岡もこの動画を見たが、最後に卑猥な言葉を絶叫するシーンで終わっていた。

 このことについては、本誌六月号でも山岡鉄秀が書いているので繰り返さない。今出崎は、この動画を著作権を理由に消し回っている。各種SNSでも、リンクが貼られている先を見ると、「この動画はMedama Sensei から著作権の侵害を申し立てられていますので、削除します」などのメッセージが出て視聴がブロックされる。Medama Senseiとは、出崎のユーチューバーとしてのペンネームである。

 自らトニー・マラーノの動画を商業映画に無断で使用して作者の著作権を侵害しておきながら、自分の動画については著作権を主張して削除を求める。とんでもない御都合主義だ。

 ここではさらにもう一つの、別の問題を指摘しておこう。

 映画「主戦場」は四月二十日から渋谷の映画館で一般公開されたのだが、その宣伝のため出崎は各種のメディアに登場した。ラジオでもいくつかの番組に出演した。

 ①四月二十四日、TBSラジオ「荻上チキ Session22」という番組で、出崎は梁澄子(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表)とともにゲストとして出演した。

 ②四月二十五日、JーWAVE のJAM THE WORLD という番組で、ニューススーパーバイザーの堀潤がインタビューした。

 私が聞いたのは右の二つのラジオ放送の録音なのだが、極めて不自然に感じたことがある。出崎が藤岡のところに取材に来た時は、彼はごく普通の日本語を話す青年だった。なぜか、出崎は藤岡に対するメールでは、自分がアメリカ国籍を持つアメリカ人であることを一切述べていなかった。だから、藤岡は彼を普通の日本人だと思い込んでいたのである。

 しかし、①のラジオ番組で彼は日本語が出来ないふりをし、わざわざ通訳をつけて番組を進行させていた。ところが質問者が日本語で質問すると、間髪を入れず英語でいきなりベラベラと話し始める。それを通訳が日本語にする。出崎は完璧なバイリンガルである。だから、日本語が分からないというのは演技なのだ。不自然極まりない。

 ②の番組も通訳付きで始まった。ところが、しばらくすると、質問者が右に書いたのと同じ問題に気付いたらしく、いきなり「出崎さん、あなた、日本語が分かるのでしょう?」と言った。不意を突かれて戸惑う様子が聞こえ、出崎は「ええ、まあ、少しは話せますけど・・・」と、いかにも日本語を習いたてのガイジンがしゃべるようなたどたどしい日本語で答えた。それ以後、番組は日本語で会話が進行した。

 日本社会には、ときどき日本語と英語の狭間を利用した詐欺師が出現する。生粋の日本人でありながらカタコトの日本語を話す米軍の特殊任務を帯びたパイロットに擬装して、日本人の女性を次々にだました「クヒオ大佐」という結婚詐欺師がいた。   出崎は、気に入らない某出版社の取材を断るのに、自分は日本語ができず、通訳の手配がつかないという理由を使っている。こういう調子で、都合よく英語と日本語を使い分ける。こういう部分だけを取り出せば、出崎は第二の「クヒオ大佐」といえるかも知れない。

(続く)

月刊Hanada2019年9月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

●なぜ反日左翼の寵児なのか

  ところで、行動的な学者でもある吉見は、「慰安婦=性奴隷」説をひっさげて、異論を唱える人を狙い撃ちにする名誉毀損訴訟を行ってきた。しかし吉見の提訴は、一審から三審までの全てで敗北した。元朝日新聞記者の植村隆が櫻井よしこと文藝春秋を訴えた訴訟でも、去る二○一八年十一月九日、一審の札幌地裁で櫻井側の完全勝訴の判決が出たばかりである。その他、一連の慰安婦訴訟では、「性奴隷」派は連戦連敗である。

 司法分野だけではない。二○一六年二月、ジュネーブの国連人権理事会で、外務省の担当者は、「強制連行説」も「性奴隷説」も「慰安婦二○万人説」も、いずれも根拠がないとして否定したのである。行政が初めて真っ当なスタンスンに立ち返った瞬間だった。

 その二年前の二○一四年八月には、崩壊した吉田清治の証言の扱いについて頬被りを決め込んできた朝日新聞までもが、ついにその誤りを認め、のちに謝罪するにいたったのである。これはまさに、慰安婦問題で日本を糾弾したい勢力にとって、致命的な打撃となる出来事だった。

 このように、論争に負け続けて気息奄々だった「慰安婦=性奴隷」派にとって、出崎のドキュメンタリー映画の出現は干天の慈雨であり、出崎は彼らの希望の星となった。

 最近、映画「主戦場」に関わる記事を特集した月刊誌『創』八月号では、「メディアが慰安婦問題をタブーにしてきた」などとしきりに述べられているが、この論評は的外れである。メディアが慰安婦問題を取り上げなくなったのは、右に見たように、もし取り上げると朝日新聞の二の舞になりかねないからだ。

  だから、右の展開を体験していない、アメリカ国籍の外国人でもある出崎が反日左翼の寵児となったのである。しかし、映画「主戦場」が実質的に何を成し遂げたのかといえば、善意の保守系の言論人を誑かして血祭りに上げたことである。

 映画「主戦場」のインターネットのサイトには、映画の予告編がアップされているが、そこで前面に押し出されているのは、櫻井よしこを筆頭に、ほとんど専ら保守側の人物である。これらの人々は、出崎の映画の宣伝の出汁にいいだけ使われていることがわかる。

 映画の入場者の多くを占めるであろう左翼・リベラル系の人々や、海外の反日ジャーナリストは、映画の中でにっくき保守系の連中が嘲笑・侮辱されていることに快哉を叫んだ。四月四日、外国特派員協会における試写会に出席した、原告の一人である藤木俊一は、試写会の様子を次のようにレポートしている。

  「このフィルムは、われわれに先にインタビューし、それに対して左翼が反論を行っているので、完全に『一方通行』の内容となっており、各段階で(強制か否か、高給取りだったか否かなど)左翼・朝鮮人たちが、われわれ側の発言を覆した部分で終わっており、その度に会場の白人たちが大歓声を上げるという異様な雰囲気の試写会であった」

 その反面、この映画が何か新しい材料を提供したり、何らかの論点を解明したりしたかといえば、そうした成果は何一つない。

 例えば「慰安婦二○万人説」の検討にしても、吉見は仮定の数字をいろいろこねくり回しているが結論は曖昧のままであり、そこで上げた数字は多数の仮定の積み重ねの上に立って、数万人のオーダーのものであり、その発言の中に二○万人説を正当化するに足るものは何もなかった。

 この点に関連して、ここで重要な論点を提示しておきたい。六月三日の記者会見で、会場から「歴史修正主義者」の定義を聞かれた出崎は、「慰安婦は二○万人で、強制連行され、性奴隷であったというのが世界の通説だ。この通説に反対する者は歴史修正主義者である」と答えた。

 そうすると、「強制連行」の証拠がないと言い、「二○万人説」を映画で言わなかった吉見は「歴史修正主義者」になる。それだけではない。監督の出崎も、映画で「二○万人」という結論を出さなかったのだから、立派な「歴史修正主義者」である。

 その他、映画に登場する多数の左翼活動家も「歴史修正主義者」である。WAM(女たちの戦争と平和資料館)の渡辺美奈などは映画の中で、「大きい数字が出てくると、すぐにそれを言いたくなるが、そうしてはならない」と戒める発言をしている。彼女もまた「歴史修正主義者」である。  出崎がいかに無責任で、物事の論理的帰結に関心を持たない、その場その場でいいかげんなことを言って恥じない、デタラメな人物であるかがよくわかる。

(続く)

月刊Hanada2019年9月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

決着がついた慰安婦論争

  出崎は映画「主戦場」の監督として、今や「慰安婦=性奴隷」派からは、慰安婦問題復活の救世主であるかのようにもてはやされている。ネットでも紙媒体でも、「映画に感動した」「出崎監督は素晴らしい人だ」「この映画を観て、やっと溜飲を下げた」などの熱烈なラブコールがあがっている。ツイッターなどでの称賛の文言があまりにワンパタンなので、多数の人間に指示し組織的に投稿させているという見方も生まれているほどだ。

 ようするに、今や出崎は慰安婦問題の逆転を狙う勢力の期待を一身に集めた、「慰安婦=性奴隷」派の寵児となっているのだ。

 なるほど、出崎に対し、それらの賛辞を浴びせている人々の気持ちも分からないではない。慰安婦問題については、これが日本社会の政治的・社会的問題として提起された一九九一年以来、幾多の論争が積み重ねられてきた。

 その中で早くも一九九二年には、歴史家の秦郁彦が、韓国・済州島の現地調査によって詐話師・吉田清治の「慰安婦奴隷狩り」体験記の嘘を暴いた。また、朝鮮半島現代史の研究者・西岡力は、元慰安婦を自称する韓国人老女へのインタビューなど徹底的な調査によって、元慰安婦の誰一人として軍や官憲による「強制連行」の事実を整合的に証言できた者がいないことを立証した。

 こうして、一九九二年段階ですでに、「慰安婦強制連行説」が虚構であることは、学問的・実証的には結論が出ていたのであった。

 さらに、同時期の日本政府の調査によっても、一九四四年十月のビルマにおける日本軍慰安所と慰安婦に関する米陸軍心理作戦班の作成した公文書によって、「彼女らは軍に付いて歩く売春婦に過ぎない」ことが明らかにされていた。

 さらにさらに、今では「慰安婦=性奴隷説」を唱え続けるほとんど唯一の歴史研究者と言っていい吉見義明だが、一九九六年十一月三十日に放映されたテレビ朝日の番組「朝まで生テレビ!」で、他ならぬその吉見が「朝鮮半島では強制連行の証拠はない」と言い放ったのである。これで、慰安婦論争は事実上、「ジ・エンド」となったのだ。

 「強制連行はなかった」という仮説をもって調査する者は、強制連行の証拠を探すに際してそれほどの熱意を持てないのが人情だが、吉見はその正反対で、相当の執念をもって慰安婦強制連行の証拠を探したはずだ。その吉見ですら見付けることができなかったのだから、他の者については何をかいわんや、強制連行の証拠を発見する見込みはない。

「四つの自由」論の愚劣

  慰安婦強制連行説が頓挫すると、どうしても慰安婦問題をネタに日本を糾弾したい者たちは、二つのコースに分かれることになった。というか、論理的に考えて二つの道しかないのである。一つのコースは、あくまで事実の世界にとどまって、証拠を朝鮮半島の外に探し、証拠らしきものを「製造」することだ。

 実際にこの道をたどったのが、インドネシアを初めとする東南アジアの各地に出かけていった弁護士や活動家の一群である。

 もう一つのコースは、強制連行の話は諦める代わりに、言葉の定義を変えることだ。いわば、事実の世界から逃避して、概念いじりをすることによって自分たちの日本国家糾弾の正当性を維持しようとするものである。この道を行ったのが吉見義明だった。

 彼は、軍慰安婦の境遇が「性奴隷」であったということを強調し、「奴隷」の概念を恣意的に変えてしまおうとする。吉見の提唱する「四つの自由」論は、こういう問題意識から吉見がこしらえ上げたものだった。

 吉見のいう四つの自由とは、居住の自由、外出の自由、接客の自由(=接客拒否の自由)、廃業の自由を指す。吉見によれば、この四つの自由がない者は「奴隷」であると定義される。それゆえ、日本軍の慰安所は「性奴隷制度」であったとする。

 もしそうだとすると、遠洋航海に出る漁師は、吉見の定義によって「奴隷」となる。遠洋航海では何ヶ月も船に乗ったきりだから、居住の自由などあるはずがない。外出の自由も、廃業の自由もない。

 ただし吉見の定義では、四つの自由の全てが失われていなければ奴隷とは言えないのか、それとも一つでも失われていれば奴隷になるのか判然としない。それによって、戦地の軍慰安婦の位置づけがまるで変わってくる。

 もし、四つとも自由が失われていることが条件ならば、軍慰安婦は断じて奴隷ではない。前出の米軍の公文書によれば、ビルマのミートキーナの慰安所にいた慰安婦には、外出の自由も、接客の自由も、廃業の自由もあったからだ。ただし、居住の自由はなかった。戦地だからこそ慰安婦に自由に住居を選ばせたら危険この上もなかっただろう。

 こんなことは、愚にもつかない言葉の遊びに過ぎない。こんな「理論」を大真面目に振り回して、「慰安婦=性奴隷説」を喜ぶ読者にリップ・サービスしているのが吉見義明の実像である。

 吉見は映画「主戦場」のなかで、唯一「歴史家」の肩書きで遇され、出崎は吉見のご託宣を押し抱き、その言葉の一言一句が真理であるかのように扱われているが、その理論の実体は、右のような愚かなシロモノである。

(続く)

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